公式発表の裏側で人間関係が鍵となる外交の世界。1960年代から激動の時代を生きてきた荒船清彦元スペイン大使が、その外交官人生を語ります。本記事では、マレーシアのマハティール・モハマド元首相が推進した「ルックイースト」政策誕生の背景と、荒船氏が経験した日マレーシア関係深化の知られざる舞台裏に迫ります。
マレーシア赴任初期とゴルフ外交:マハティール氏との出会い
1979年、荒船清彦氏はマレーシア大使館に赴任しました。当時のマレーシアでは、閣議がゴルフ場で開かれるほどゴルフが社会に深く根付いており、荒船氏は毎朝、現地の閣僚らとハーフ9ホールを回ることを日課とし、私費で朝食を賭けてプレーすることで、自然な形で人間関係を築いていきました。昼間の暑さを避ける早朝ゴルフは、重要な交流の場となっていたのです。
この時期、荒船氏が親交を深めた人物の一人が、当時通産大臣を務めていたマハティール・モハマド氏でした。マハティール氏が日本とASEAN(東南アジア諸国連合)の会議に出席するため東京を訪れた際、三井物産のマレーシア支店長である富永栄穂氏が、京都から九州までの工場などを車で案内するという特別な機会が設けられました。この体験がマハティール氏に「これが日本だ」と強い印象を与え、後の「ルックイースト(東方政策)」「日本に学べ」運動へと繋がる原点となります。さらに、イスラム教徒であるマハティール氏が、首相就任前ではあったものの、荒船氏の前で日本酒を酌み交わしたという逸話は、二人の間に培われた信頼関係の深さを示しています。
マレーシアの地でマハティール首相(右)と語り合う荒船清彦元スペイン大使(左)。ルックイースト政策推進における日本への強い関心がうかがえる
「日本に学びたい」:マハティール首相の3つの願いと「浪花節」外交
マハティール氏が首相に就任した後、日本への強い思いを込めた「3つの願い」を荒船氏に打ち明けました。「日本語を教えてくれる先生を1千人派遣してほしい」「日本の工場でマレー人を1千人働かせ、実際の仕事ぶりを学ばせてほしい」、そして「週7便、直行便を飛ばしてほしい」というものです。特に3つ目の願いについては、「とにかく毎日、日本に飛んでいたいんだ」と熱弁を振るいました。最初の二つの願いは実現可能とされましたが、週7便の直行便運航は、航空会社の採算性が問われる課題でした。
しかし、日本の運輸省や航空会社との交渉は、意外なほどスムーズに進展しました。「毎日、日本に飛んでいたいんだ」というマハティール氏の切なる願い、いわば「浪花節」とも言える人情に訴えかける言葉が、論理や理屈を超えて日本側の心を動かしたのです。これは、国家間の関係が、時には個人的な感情や熱意によって大きく左右されることがあるという、外交の奥深さを示すエピソードと言えるでしょう。
結び:人間関係が織りなす国際外交の真髄
荒船清彦元大使が語るマハティール・モハマド元首相との交流は、華やかな記者会見や公式文書には残されない、人間味あふれる外交の一側面を浮き彫りにします。ゴルフを通じた親交や個人的な信頼関係、そして「毎日、日本に飛んでいたい」という素直な願いが、マレーシアの「ルックイースト」政策の礎となり、日マレーシア間の強固な関係を築き上げる上で不可欠な要素であったことを示しています。国際政治の舞台裏には、時に理屈を超えた人々の思いや絆が、歴史を動かす大きな力となっているのです。
参考文献:
- Yahoo!ニュース(サンケイスポーツ):荒船清彦元スペイン大使の回顧録記事より