プーケット「リトル・モスクワ」化の光と影:観光産業の脆弱性と日本の課題

プーケットの離島で友人とランチを楽しんでいた際、見慣れない光景に出くわした。若い白人女性が近づき、「釣りをしすぎたので、魚を買いませんか?」と声をかけてきたのだ。手元の袋には小ぶりのマグロが入っており、「お刺身にもできると思います。たぶん、このお店で調理してくれるんじゃないかな」と提案された。この売り手の女性は、どうやらロシア人の無免許観光ガイドで、小遣い稼ぎに魚まで売っているのだという。このような個人的な体験は、単なる異文化交流に留まらず、タイの観光地が抱える深層的な課題、ひいては観光産業全般の不安定性を浮き彫りにするものであった。

多くの外国人観光客で賑わう京都の街並み。日本の観光地が直面する課題を象徴。多くの外国人観光客で賑わう京都の街並み。日本の観光地が直面する課題を象徴。

プーケットに広がる「リトル・モスクワ」現象

近年、プーケットは「リトル・モスクワ」と称されるほど、ロシアからの観光客が急増している。ウクライナ侵攻後、多くのロシア人にとってタイは比較的滞在しやすい国のひとつとなり、富裕層は不動産投資を行う一方で、一般の観光客も数多く訪れるようになった。その結果、現在では中国人観光客の数を抜き、ロシア人観光客がプーケットを訪れる外国人観光客数で1位となっている。この「リトル・モスクワ」化は、経済的な恩恵をもたらす一方で、新たなあつれきも生み出している。

無免許ガイド問題と地元経済への影響

その代表的な問題の一つが、ロシア人による無免許ガイドの横行である。現地に長期滞在するロシア人が、同胞の観光客に対して送迎から観光案内までを全て無免許で行ってしまうため、正規の地元の観光業者にお金が落ちないという事態が起きているのだ。私に魚を売ろうとした女性もその一人で、無免許ガイドがさらに小遣い稼ぎのために魚を販売しているらしい。彼女らが他の観光客にも声をかけては断られている様子は、その商魂のたくましさを感じさせるものだったが、最終的には警備員に追い払われていた。

プーケットで無免許ガイドが観光客に魚を販売しようとする様子を描いたイラスト。地元経済への影響が懸念される。プーケットで無免許ガイドが観光客に魚を販売しようとする様子を描いたイラスト。地元経済への影響が懸念される。

観光産業の不安定性と日本への示唆

このようなプーケットの状況を目の当たりにし、改めて観光という産業の根本的な不安定性について考えさせられた。日本がインバウンドをさらに増やし、世界有数の観光大国となること自体には賛成だが、観光への過度な依存は危険を伴う。工場などの製造拠点を移転するには10年単位の長期的な計画が必要だが、観光業は自然災害や近隣での事件、国際情勢の変化といった外部要因に瞬時に影響を受けてしまうからだ。ロシアとウクライナの戦争が終結すれば、プーケットの「リトル・モスクワ」現象も恐らく衰退の一途を辿るだろう。

実際に、現地ガイドは日本からの観光客が減少しているとこぼしていた。プーケット自体の物価が高騰しすぎたため、観光客がより手頃なベトナムなど他の東南アジア諸国に流れているという現状も、観光産業の脆弱性を物語っている。

プーケット本島に戻るヨットに乗ると、航行中に釣れた新鮮な魚が刺身として振る舞われた。あの無免許ガイドにお金を払わずに正解だったと感じると同時に、この一連の出来事が、貴重なエッセイの題材となったことこそが、私にとって一番の「得」だったと言えるだろう。

参考文献

  • 古市憲寿. 「プーケットの離島で出くわした、ロシア人の“無免許ガイド”の仰天商魂」. 『週刊新潮』2025年8月28日号.
  • 新潮社.