かつて日本の自動車市場に登場しながらも、その真価が正当に評価されずに埋もれてしまった悲運のコンパクトワゴン、ダイハツ・パイザー。特に後期モデルでひっそりとラインナップされた「CLエアロバージョン」は、その哀愁を背負いつつも、実は驚くほど高い完成度を誇っていました。本稿では、初代マツダ・デミオという強大なライバルの影に隠れ、惜しまれながらも市場から姿を消したこの希少なモデルの魅力と、その開発に込められたダイハツの「志」を深掘りし、知られざる実用性と意外な走行性能に光を当てていきます。
悲運のコンパクトワゴン、パイザーの誕生と挑戦
ダイハツ・パイザーは、4代目G200系シャレードをベースに開発され、1996年8月に市場に投入されました。当時の日本市場では、ファミリー層をターゲットとしたミニワゴンというコンセプトが注目され始めており、パイザーもその波に乗るべく、広大な室内空間と実用性を売りに登場しました。初期ラインナップはベーシックな「CL」と上級モデルの「CX」で構成され、いずれも1.5L直列4気筒HE-EG型エンジン(最高出力100ps/最大トルク13.0kgm)を搭載していました。
翌1997年のマイナーチェンジでは、ダイハツのお家芸ともいえる「エアロカスタム」シリーズ(1999年には「エアロダウンカスタム」に改称)が追加され、スポーティなイメージを強化しました。このモデルには、新開発の1.6L直列4気筒HD-EP型エンジン(最高出力115ps/最大トルク14.3kgm)と、車高を10mmダウンさせた専用サスペンションが与えられ、4WDモデルも設定されました。さらに1998年と1999年には、内外装のデザイン変更やグレード構成の見直しなど、度重なる改良が施されました。今回焦点を当てる「CLエアロバージョン」は、1999年のマイナーチェンジ時に登場した、特にマニア心をくすぐるモデルです。
マツダ・デミオとの宿命的な遭遇:販売戦略の誤算
パイザーがデビューした1996年8月は、実は初代マツダ・デミオの発売と全く同じタイミングでした。パイザーは全長が約4.1m弱、デミオが約3.8mと異なり、後には1.6Lエンジンも搭載されたことから、本来は車格的にパイザーの方が上位に位置づけられるはずでした。しかし、両車の開発コンセプトが「コンパクトで実用的なワゴン」と酷似していたため、意図せずして新車市場で「デミオとの直接対決」という構図が生まれてしまいました。これはダイハツにとって、まさに「大誤算」だったと言えるでしょう。
マツダの経営危機を救ったとも言われる大ヒット作となった初代デミオは、2002年の生産終了までに国内で47万7000台もの新車販売台数を記録しました。一方、2001年に生産を終了したダイハツ・パイザーの販売台数は、初代デミオの10分の1以下、わずか4万6000台に留まり、一代限りでひっそりとフェードアウトしていきました。この数字が物語るように、販売面でデミオに完敗したパイザーの悲劇的な物語は、日本の自動車史における「愛すべき迷車」としての地位を確立する一因となっています。
独特のスタイリングと隠れた実用性:CLエアロバージョンの魅力
長いリアオーバーハングと視覚的バランス
市場での不振とは裏腹に、パイザーには独自の魅力と高い実用性が秘められていました。その特徴の一つが、真横から見た時の「異常に長いリアオーバーハング」です。ホイールベースはパイザーが2395mm、初代デミオが2390mmとほとんど差がないにもかかわらず、全長はパイザーの方がデミオより300mm以上も長くなっています。この差のほとんどがリアオーバーハングに充てられており、広大な居住空間とラゲッジスペースを確保するための設計思想がうかがえます。しかし、その結果として、見た目のバランスが悪く、K11型マーチの派生車種であるマーチBOXに近い、やや突飛な印象を与えてしまうことも事実でした。
CLエアロバージョンの外装ディテール
今回紹介する取材車両「CLエアロバージョン」は、1999年のマイナーチェンジで上級グレードのCXがカタログ落ちし、CLリミテッドとエアロダウンカスタムの2本立てとなった際に登場しました。CLリミテッドをベースとしながらも、エアロダウンカスタムから譲り受けた大型の前後エアロバンパー、サイドステップ、そしてメッキグリルを装着しており、その名の通りスポーティな雰囲気をまとっています。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのフロントデザイン
メッキグリルもエアロダウンカスタムの部品が使われていますが、ボンネットのラインに合わせて上下2分割されるなど、細部にわたるダイハツのこだわりが見て取れます。廉価グレードのCLをベースとしているため、ドアミラーやドアノブがボディ同色ではなくブラックのままという点は、エアロパーツとのちぐはぐさがかえってCLエアロバージョンのユニークな個性となっています。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの後方からの外観
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのサイドビュー
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの個性的なメッキグリル
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのブラックドアハンドル
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのリアデザイン
ユーザーフレンドリーな室内空間と快適装備
シンプルながら実用的な運転席
内装は基本的にCLリミテッドを踏襲しており、シンプルながら実用性を重視したデザインです。ドライビングポジションはかなりアップライトで、視界が広く確保されています。メーターパネルはスピードメーターを中心に、右側にタコメーター、左側に水温計と燃料計が配置され、視認性にも優れています。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの運転席とメーター
センターコンソールは上からエアコン吹き出し口、マニュアルエアコン操作スイッチ、2DINサイズのオーディオスペース、フタ付きの小物入れ、そして灰皿とシガーソケットが効率よく配置されています。取材車両に装着されていたAM/FMチューナー付きカセットデッキ+CDプレーヤーは、非常に珍しいクラリオン製の純正オーディオであり、当時のオプション品としては希少価値が高いものと言えるでしょう。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのセンターコンソール
運転席にはシートリフター機能が備わり、ドライバーの体格に合わせて最適なシートポジションに調整が可能です。また、シートバックにはコンビニ袋などを引っかけておけるフックも装備されており、日常使いにおける細やかな配慮が光ります。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの運転席
多彩なシートアレンジと広大なラゲッジスペース
後席は前後方向、上下方向ともに余裕があり、大人でも快適に過ごせる空間が確保されています。背もたれは50:50分割で、18段階ものリクライニング調整が可能。さらに、座面を跳ね上げて背もたれを倒す「ダブルフォールディング」機構も備わっており、荷物に合わせて多様なシートアレンジが可能です。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの後席
ただし、初代デミオに搭載されていた前後スライド機構がない点は、パイザーが唯一デミオに劣る部分かもしれません。左右両端にはアームレストが設けられ、その中にはドリンクホルダーも備わるなど、乗員の快適性にも配慮されています。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの後席アームレストとドリンクホルダー
特筆すべきは、前席のヘッドレストを抜いて背もたれを後ろに倒し、後席もフルリクライニングさせることで、画像のように「フルフラット」状態を作り出せる点です。頻繁に使う機会は少ないかもしれませんが、車中泊や仮眠時には非常に重宝する、嬉しいシートアレンジの一つです。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのフルフラットシートアレンジ
リアオーバーハングが長い設計のおかげで、5名乗車時でもラゲッジスペースは十分に広い空間を確保しています。さらに、後席をダブルフォールディングさせると、奥行き1.7mにも及ぶ広大なフラットスペースが出現し、自転車などの大きな荷物も積載可能です。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの広々としたラゲッジスペース
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの後席ダブルフォールディングによる荷室
後席の背もたれは、ラゲッジルーム両端に設けられたワイヤーを引っぱるだけで簡単に倒すことができ、使い勝手がしっかりと考えられています。ラゲッジボードの下にはスペアタイヤと工具箱が収納されていますが、ラゲッジボードを開けた状態で固定できないなどの改善点も一部に見られます。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの後席背もたれ格納ワイヤー
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのラゲッジボード下収納
実用性を追求した隠れた名機:HD-EPエンジン
CLエアロバージョンには、ベースとなるCLリミテッドの1.5L HE-EG型エンジンではなく、なぜか1.6L 1カム16バルブのHD-EP型エンジンが搭載されていました。これは上級グレードとの明確な差別化を図るための「大盤振る舞い」とも言えるでしょう。実際に試乗してみると、1.6Lという排気量にしては低中速トルクがしっかりしており、街乗りでの加速はスムーズで、2500rpmあたりで軽快にシフトアップしていきます。決して「軽快」とまでは言えないものの、日常使いにおいては期待以上に走ってくれる動力性能を持ち合わせています。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのHD-EPエンジン
このHD型エンジンは、かつてアプローズやクロスカントリー4WDの旧ロッキーにも搭載された実績があり、スペック上は特筆すべき点はないかもしれませんが、実用域での扱いやすさに徹した設計は「玄人受けする隠れた銘機」と評すべきかもしれません。その堅実な性能は、パイザーの高い実用性を裏打ちする重要な要素でした。
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンのエンジンルーム
ダイハツ・パイザー CLエアロバージョンの後方からの外観 (別アングル)
パイザーが示すダイハツの「志」と「愛すべき迷車」としての価値
初代デミオの大ヒット後、その「二匹目のドジョウ」を狙ってK11型マーチをベースとした日産キューブや、ロゴから派生したホンダ・キャパなど、コンパクトワゴン市場には多くの追随車が登場しました。しかし、それらのモデルと比較しても、ダイハツ・パイザーの方が実用性や使い勝手の面で優れており、さらに言えば、メーカーとしての「志」の高さ、つまりユーザーの使いやすさを追求する真摯な姿勢が感じられます。
今となっては「もし初代デミオに先駆けて発売されていたら…」と考えることに意味はありませんが、もしそのタイミングが逆だったら、パイザーの市場での評価は大きく異なっていたことでしょう。その不運なタイミングも含めて、ダイハツ・パイザーは、高いポテンシャルを秘めながらも時代に翻弄された「愛すべき迷車」として、日本の自動車史に静かにその名を刻んでいます。CLエアロバージョンは、そんなパイザーの物語を象徴する、まさに「幻のコンパクトワゴン」なのです。
SPECIFICATIONS
車両型式:G301G
全長×全幅×全高:4130×1640×1565mm
ホイールベース:2395mm
トレッド(F/R)1390/1395mm
車両重量:1090kg
エンジン型式:HD-EP
エンジン形式:直4SOHC
ボア×ストローク:φ76.0×87.6mm
排気量:1589cc
圧縮比:9.5:1
最高出力:115ps/6300rpm
最大トルク:14.3kgm/3600rpm
トランスミッション:4速AT
サスペンション形式(F/R):ストラット
ブレーキ(F/R):ベンチレーテッドディスク/ドラム
タイヤサイズ(F/R):185/65-14
●TEXT&PHOTO:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA) / WebOption