令和も続く「家事の呪い」の起源:女性に偏る家事負担の歴史を紐解く

2026年が幕を開け、新たな年の始まりは生活を見直す絶好の機会です。特に、家事のあり方について考えてみてはいかがでしょうか。「家事の呪い」を解き放つ動きが10年近く続き、家事を簡略化したり家族で分担する家庭も増えましたが、依然として女性が家事の大半を担う状況や、自ら家事のハードルを上げてしまう女性も少なくありません。女性に家事責任を押し付けるこの「家事の呪い」は、現代の一般的なライフスタイルである会社員とその妻が作る核家族が誕生した時期と深く関連しています。本稿では、この「家事の呪い」の誕生史をたどり、その正体を明らかにし、呪いを解く試みを行います。

「家事の呪い」はなぜ生まれたのか?核家族化と主婦の誕生

産業革命を経て資本主義体制が確立し、サラリーマンとその妻が中心となる中流層の核家族が日本で誕生したのは、大正時代から昭和初期にかけてのことでした。この新しい階層で生まれた「主婦」という新たな役割を担う女性たちは、「伝統」という枕詞のもと、「呪い」を受け入れさせられていきます。主婦は、夫が「主人」としてのプライドを満たし、家で快適に「休める」ように家事を背負うことになったのです。

当時の一般家庭にはまだ家電製品が普及しておらず、また、兵士予備軍を増やすための多産が奨励されていたため、子どもが多い分、家事の量は非常に膨大でした。中流家庭では住み込みの女中を雇ったり、子どもたちが家事を手伝ったりすることも珍しくありませんでした。

令和の時代にも家事負担が女性に偏っている現状を示すイラスト令和の時代にも家事負担が女性に偏っている現状を示すイラスト

「良妻賢母」と「母性」の押し付けが家事責任を強化

この時代を代表する「呪い」の一つが、「良妻賢母」になることでした。江戸時代まで子育ての権利すらほとんどなかった女性たちは、良妻賢母教育を行う女学校へ進学できるようになります。一方で、職場に長時間拘束される父親からは育児責任が切り離され、家に残される母親に育児責任が全面的に背負わされる構造が確立していきました。

さらに、1910年代後半からは「母性」という言葉が盛んに使われ始め、中流家庭の母親たちの間で教育熱が過熱し、「母の手ひとつで」という言葉も流行するようになります。母親の育児責任の呪いは、自由民主党の政策によって1960年代に急速に拡大した「三歳児神話」の源流となりました。これはサラリーマン世帯が社会の主流となった時期と重なります。この神話は1998年度の『厚生白書』で否定されたにもかかわらず、その呪いの効力は現在もなお私たちの社会に残っているのです。

現代に残る「家事の呪い」を解き放つために

大正から昭和初期にかけて形成された「家事の呪い」は、核家族化や性別役割分業という社会構造の中で根強く定着し、令和の時代を迎えた現代においても、女性に偏る家事負担という形でその影響を残しています。この歴史的背景を理解することは、現代社会における家事分担の問題を深く考察し、個々の家庭だけでなく社会全体で「家事の呪い」を解き放つための第一歩となるでしょう。