【よみがえるトキワ荘】未来へ(1)挫折もバネに 紫雲荘の絆





赤塚不二夫が住んだ紫雲荘202号室に集まった立藤朋廣さん、藤原絵人さん、高橋和希さん(左から)=豊島区南長崎(鵜野光博撮影)

 「紫雲荘(しうんそう)を出ても、どこかで畳の匂いを嗅いだら、この部屋を思い出すんじゃないかな。3年間頑張った自分を思い出して、あの時の自分に負けないように頑張らないと、と思えたらいいですね」

 豊島区南長崎の築61年のアパート「紫雲荘」。赤塚不二夫が仕事場兼寝室として使った202号室で、紫雲荘で3年間暮らしてきた高橋和希さん(30)はそう語り、立藤朋廣さん(26)、藤原絵人(かいと)さん(24)もうなずいた。3人は漫画家を目指す若者を地域ぐるみで応援する「紫雲荘活用プロジェクト」の3期生。近くにあった手塚治虫や石ノ森章太郎、赤塚らが住んだアパート「トキワ荘」のように、互いに切磋琢磨(せっさたくま)できる環境だ。

 平成23年に始まった同プロジェクトは「本気で漫画家を目指す20歳以上の単身男性」を対象に、最長3年間、家賃4万円の半額を補助する。部屋は3室あり、4月から住む4期生3人を現在募集している(問い合わせはスエヒロ堂03・3951・9485)。2期生の梶川岳(がく)さん、姫野ユウマさんは、それぞれ昨年11月に「ヒナちゃんチェンジ」(集英社)、「ぼくのツアーリ」(KADOKAWA)の単行本第1巻が発売されるなど、プロとして活動している。

 藤原さんは3年前、「美大をやめて漫画をやろうと思ったが、実家にもいられず、知人から紫雲荘を教えてもらって渡りに船で応募した」という。連載を目指した企画が挫折したこともあった。「商業誌は厳しいから、僕の漫画を否定された気持ちになることもある。そのときに『やめようか』ではなく、紫雲荘はそれをバネに頑張る場所になった」と振り返る。

 「手塚先生に憧れ、トキワ荘のこともよく知っていた」という高橋さんは、テレビで募集を知って会社を辞め、夢をかなえるため茨城から上京した。立藤さんも福岡から。「近くで描いている2人がいて、頑張ろうぜという感じになったのが一番大きい。プロのアシスタントで学べたのも、福岡にはなかったメリット」と立藤さん。

 ただ、部屋に風呂はなく、コインシャワーと銭湯通いは「不便」と3人。「でも紫雲荘の(年季が入った)写真を見た時点で覚悟を決めたので、基本的にプラスしかないです」と藤原さんは笑う。

 「いつかコンビニで雑誌を開いたら、みんなの名前が載っているのが夢。本当に一生の関係になると思う」と立藤さんは語った。

 伝説のアパート、トキワ荘は私たちに何を残し、私たちは未来に何を受け渡せるだろうか。連載の最終第4部で考えてみたい。



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