「防災の河南」立役者・武田勝玄町長しのぶ

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 14日に69歳で急逝した大阪府河南町の武田勝玄町長の告別式が17日、同府富田林市で営まれた。武田町長は、災害時の対応を時系列に沿って整理し被害軽減をはかる府の行動計画「おおさかタイムライン防災プロジェクト」を主導した一人。さらに地域防災の活動を広げようとしていた矢先の訃報に、防災分野の関係者からも多くの惜しむ声が寄せられた。


土砂災害タイムラインの策定作業で会議を主導する武田勝玄町長=平成30年、河南町
土砂災害タイムラインの策定作業で会議を主導する武田勝玄町長=平成30年、河南町

 「何とか地元を良くしたいという情熱にあふれた政治家だった」としのんだのは東京大大学院情報学環総合防災情報研究センターの松尾一郎客員教授。事前に予測することが難しい土砂災害の被害を最小限に食い止めるため、災害時の行動を事前に明確にするタイムラインの策定にともに取り組んだ。「河南町の防災やまちづくりに関する十数種類の宣伝名刺を作り、独特の笑顔と河内弁のセットで広報マンとして発信していた」といい、今後、タイムラインを全国自治体に広げるためにも欠かせない人物だったと惜しんだ。

 河南町の土砂災害タイムラインは他の府内自治体に先駆けて平成30年8月に運用開始されたため「防災の河南」を印象づけた。関西大社会安全研究センターの河田恵昭センター長も「タイムラインづくりではいつも笑みを浮かべて中心的に活動された。成果が町民に及ぶのを待たずに亡くなったことは残念」と振り返る。

 策定を始めたころの29年10月には台風21号が襲来。同町も大きな被害を受けたが、復旧の陣頭指揮と並行して策定作業を推進した。実際の被害状況や対応の不備を教訓化してタイムラインに盛り込んだといい、町の担当者は「歴史的にも大規模な土砂災害に悩まされてきた河南町で被害を減らしたいという強い思いを感じました」と話す。

 武田氏は約30年間の会社員を経て18年に初当選。4期目となった今期も防災機能充実に向けた取り組みを続けていたほか、福祉や教育の分野でもリーダーシップを発揮した。告別式に参列した富田林市の吉村善美市長は「一緒に南河内を盛り上げようと頑張ってきた。何よりも河南町を大事にする人で、政治家として尊敬する人だった」。同府千早赤阪村の松本昌親村長は「人の心をつかむのがうまい人間味あふれる人だった」と思い出を語った。

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