音楽・ダンスグループ、TRFのリーダー、DJ KOO(コー)(58)が今年、DJ活動40周年を迎える。その記念アルバム「オドレーJAPAN!~歴代オドレルJ-POP日本代表~」は、東京五輪・パラリンピックを応援しようと作ったが、出してみれば世界は新型コロナウイルスとの闘いの真っただ中。だが、「今、この時に出す意味はある」と力強く語る。(石井健)
ラグビー部からDJへ
専用の機材を使い、既存のレコードやCDに収められた曲と曲を次々とつなぎ合わせ、音楽でディスコなどの会場の高揚感を高めるのが、DJ(ディスクジョッキー)の仕事だ。
DJ KOOは昭和55年、18歳でDJの見習いになった。ロックバンドのギタリストとしては芽が出ず、遊びに行ったディスコで目にしたDJがかっこよかったからだ。上下関係の厳しい世界だったが、「高校はラグビー部にいたので得意でした」と台頭した。
それから40年。どんなジャンルの音楽でもつなぎ合わせ、最近は、盆踊りとディスコを融合させた「盆ダンス」も手がける。「J-POPで世界中の人々を踊らせたい」と夢は尽きない。
音の科学者
DJ KOOの人生に大きな影響を与えたのは、音楽プロデューサーの小室哲哉(61)だ。出会いは平成3年頃。小室が主宰したダンスイベントへの参加を誘われ、スタジオを訪ねて度肝を抜かれた。
「当時、僕も音楽制作に携わっていたけど、そこにあったのは桁違いの機材。しかも、小室さんは新しい音をゼロから自分で作って、まるで科学者」
「この人についていこう」と決心し、半年間スタジオを訪ね続け、“弟子入り”した。