「忘れない」。思いをのせて、白と水色の風船が宙を舞った。脱線事故を起こした電車の3両目で負傷した増田和代さん(50)=兵庫県伊丹市=にとって、この15年は薄れゆく世間の関心にあらがう日々でもあった。今年は新型コロナウイルスの猛威により追悼行事の中止が相次ぐ中、自ら風船のイベントを企画して初めて実施。晴れ渡った空の向こうにメッセージを届けた。
事故の風化という問題に増田さんが初めて直面したのは、発生からまだ3年しかたっていないころ。
同県尼崎市内の現場付近の街頭で再発防止を願うしおりを配ったが、通行人に素通りされることが多くなった。「負傷者と遺族はまだ傷を抱え、どん底にいるのに」。時計の針の進み方は違うのだと知った。
今でも電車の走行音を聞くと、15年前のあの日に引き戻されることがある。かすんだ視界でも、血に染まったシートの鮮烈な赤色ははっきりと分かった。力ないうめき声が聞こえた。
事故後長きにわたって心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされ、睡眠薬や抗鬱剤を服用する日々が続いた。
思い通りに動かない体を抱えながら追悼イベントに参加する中で気付いた、世間との距離。増田さんは自分から一歩前へ踏み出すことに決めた。「どうか忘れないでほしい」。その一心で、マスコミの取材にも積極的に応じてきた。
それがどれだけの人に届いたのかは分からない。最近は事故の存在すら知らない人も増えているように感じる。15年という月日は、それだけの重みを持つ。
少しでも目を向けてもらえるようなイベントはないか。そこで思いついたのが風船だった。
きっかけは昨年、友人がバルーンショップを開店したこと。増田さんが経営するペットサロンにも特製の風船を飾り付けると、若い世代から注目されることが増えた。
風船を飛ばすというシンプルなイベント。それでも、その構図が絵になって、事故に関心のない人が少しでも足を止めてくれるなら十分意味がある-。
25日午前、JR伊丹駅前の広場に用意された約30個の風船に、参加者がフェルトペンで次々と追悼のメッセージを書き込んだ。新型コロナの感染リスクに注意を払い、消毒などできる限りの対策をした。
2色の風船は近くを流れる猪名川沿いの歩道から空に放たれた。増田さんがしたためたメッセージは「安らかにいつまでも忘れません」。あの日のような雲一つない青空に吸い込まれ、どんどん小さくなって消えていく様子を見つめながら「天国のみんなが喜んでくれている」とほほ笑んだ。(中井芳野)