【国際情勢分析】海を越えた凄腕ファンド・レイザー 日米の絆を強化、I・ヒラノさん死去

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2016年3月、東京で、米日カウンシルのイベント「TOMODACHI世代 グローバル・リーダーシップ・アカデミー」に参加した東北の大学生、高校生と記念撮影するアイリーン・ヒラノ・イノウエさん(左)=米日カウンシル提供

2016年3月、東京で、米日カウンシルのイベント「TOMODACHI世代 グローバル・リーダーシップ・アカデミー」に参加した東北の大学生、高校生と記念撮影するアイリーン・ヒラノ・イノウエさん(左)=米日カウンシル提供
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 日系米国人と日本の教育的交流に力を尽くした、非営利団体「米日カウンシル(USJC)」のアイリーン・ヒラノ・イノウエ会長が7日、71歳で亡くなった。米西部カリフォルニア州ロサンゼルス出身の日系3世。日系移民の歴史を伝える「全米日系人博物館」を立ち上げた。また、自分のルーツをよく知らない若い日系人を日本とつなぐ試みを政財界を巻き込む一大プロジェクトに発展させた。その活動の原点は、第二次大戦中に「敵国人」と扱われ、強制収容所に入れられた親族の体験談を聞いたことだった。(外信部 平田雄介)

 アイリーンさんのハワイの自宅を筆者が訪ねたのは2016年末。安倍晋三首相と当時のオバマ大統領が日米開戦の発端となった真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊した前日だったから、12月26日のことだ。面会の申し込みはクリスマス休暇中だったにも関わらず、「コンドミニアム(米国式分譲マンション)に来て」とすぐにメールが返ってきた。

 慰霊式前夜の夕食会に向かう前ということで、きれいに髪を整え、華やかで上品な白のジャケットを羽織り、迎えてくださった。

 ロサンゼルス出身のアイリーンさんとハワイの縁は12年に亡くなった夫のダニエル・イノウエ上院議員だ。イノウエ氏はハワイ出身の日系2世。1941年12月の日米開戦後、「米国への忠義を示す」ため日系人を中心に組織された第442部隊に参加し、欧州戦線で右腕を失った。戦後は長きにわたり下院、上院議員を務め、大統領継承順位3位の上院仮議長を務めた政界の長老でもある。

 このため、当時の私のアイリーンさんに対する認識は「生前のイノウエ氏の話を聞ける人」だった。しかし、アイリーンさんの来歴をたどると、彼女自身が社会貢献活動のファンド・レイジング(基金調達)に長けた凄腕の指導者だったことが分かる。

日本の価値観になじんだ100%の米国人

 アイリーンさんは1948年10月7日、ロサンゼルス大都市圏のロングビーチで、日系2世の軍人の父と日本生まれの母のもとに生まれた。幼少期の数カ月を母の実家で過ごし、日系人が「北米一多い」ともいわれるガーデナで育った。そうした背景もあり、日本的な価値観が「しっくりくる」と地元紙日刊サン(2014年2月8日付、電子版)に語っている。

 一方で、「両親に100%アメリカ人であるように育てられた」という。2世の多くは日本で言う「戦中派」の世代。米市民でありながら先の大戦中に「敵国人」として疎外された苦悩から、子供に「米国人らしさ」を望む人が多かった。

 アイリーンさんが実践した米国人らしさの一つが社会貢献活動だ。米紙ニューヨーク・タイムズ(4月13日付電子版)によると、早くも中学生のときに児童養護施設に寄付する車いすを購入するための基金調達を友人と成功させている。

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