復帰から48年、これまで沖縄は、国から何をしてもらうかを考えてきた。しかしこれからは、国のために何ができるかという視点も必要になってくるだろう。
私が沖縄県職員になったのは昭和48年、復帰後の第1期入庁組だ。以来、平成25年に副知事を退任するまで40年間、主に県の振興政策に関わってきたが、復帰前の沖縄は高度経済成長から取り残され、県民所得は極めて低く、本土とのさまざまな格差をいかに縮めていくかが課題だった。
そのためには国からの多額の補助金が必要で、特別措置法による10カ年ごとの計画で生活水準を徐々に向上させてきた。むろん、いつまでも補助金をあてにはできない。復帰から30年、平成4~13年度の第3次振興開発計画が終わる頃には自立に向けて踏み出さなければと考えていた。
ところがその間に起きたのが、米兵による少女暴行事件だ。県民は激高し、米軍基地の撤去と、基地がある限りは交付金は当然という意識が生まれ、それは現在も続いている。これでは、いつまでも本当の意味での自立はできない。
依然として沖縄は一人当たりの県民所得が全国で最も低く、大学進学率も最下位だが、成長率は高く、飛躍の可能性を秘めている。それを沖縄のためだけでなく、日本のためにも生かせるような振興ビジョンを立てるべきだ。
そうすれば2年後には、全国民が沖縄の復帰50年を祝福することだろう。(談)