【動く 「ポスト安倍」の夏】稲田朋美・自民幹事長代行 突破力期待も応援団不在

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自民党・稲田朋美幹事長代行=6月30日午後、東京・永田町の自民党本部(春名中撮影)
自民党・稲田朋美幹事長代行=6月30日午後、東京・永田町の自民党本部(春名中撮影)
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 「ちょっと相談したいことがある」

 自民党幹事長代行の稲田朋美は6月24日夜、東京・新橋のすし店に総裁外交特別補佐の薗浦健太郎、経済産業副大臣の松本洋平、首相補佐官の木原稔を呼び出した。自身が力を入れる女性政策などが理解されないことを悩み、稲田が会長を務める「伝統と創造の会」(伝創会)の設立メンバーである薗浦らに、相談を持ちかけたのだ。

 話題は筆頭副幹事長の高鳥修一が新たに立ち上げた保守系グループ「保守団結の会」に及んだ。高鳥は伝創会副会長として稲田とともに行動してきた盟友だ。

 「なんでやろ」

 不満そうな稲田に、薗浦らは「何も説明してこなかったあなたが悪い」と諭した。「みんな忙しそうで声を掛けるのを遠慮していた」。稲田は説明不足だったことを認めた。

 稲田は平成17年、当時幹事長代理だった現首相、安倍晋三に政界入りを促され、衆院選で初当選した。以降、選挙に強い保守政治家として頭角を現し、翌18年には当選同期の議員が稲田のもとに集まり、伝創会が設立された。

 安倍も稲田を首相候補に育てようと、当選3回で行政改革担当相、政調会長に抜擢(ばってき)した。しかし、防衛相時代には東京都議選に関する失言や学校法人「森友学園」問題をめぐる国会答弁などで失態を重ねた揚げ句、南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題で辞任に追い込まれた。稲田は「辞任直後は『立ち直ることができるだろうか』と悩むほど落ち込んだ」と振り返る。

 この挫折が稲田に変化を生んだ。昨年3月に女性議員を増やすための議連「女性議員飛躍の会」の共同代表に就くと、選択的夫婦別姓の実現やLGBT(性的少数者)の問題に本格的に力を入れるようになった。未婚のひとり親を「寡婦(夫)控除」の対象に加える税制改正にも奔走した。

 「保守とは多様性を認めること」。稲田はこう説明し、新たな保守の姿を模索している。

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