李登輝氏とは長年、違う政党に属していた。具体的な政策で対立する場面が多かったが、論争をしていても「台湾を良くしたい」との思いはいつも私のところに届いていた。私が総統に初めて当選した2000年春、選挙戦で激しく争った相手陣営の私に対し、前任者の李氏は丁寧に引き継ぎをしてくれた。そのおかげで、台湾初の政権交代はスムーズに行われた。心から感謝している。
李氏は荒海の中で台湾という船を巧みに操縦し、民主化に導いた老船長のような存在だと考えている。国際情勢が激変している今、李氏の知恵と力を最も必要としていただけに、その逝去は台湾にとって大きな損失だと言わざるを得ない。
李氏と最後に会ったのは約2年前、彼の95歳の誕生日を祝うために自宅を訪ねたときだ。別れ際、「我是不是我的我」(私は、私でない私である)という言葉を贈られた。帰宅後に聖書などで調べたところ、「自分個人という存在を超え、全てのことに尽くしていく」との意味だった。台湾の行く末を案じる李氏が大所高所から後輩の私たちに残してくれたメッセージだと受け止め、大事にしている。(聞き手 矢板明夫)