津波で亡くなった三男は誘い断り母の帰りを待っていた…11年目のお盆に知らされた本当の最後

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津波で亡くなった三男は誘い断り母の帰りを待っていた…11年目のお盆に知らされた本当の最後

津波で更地になってしまった自宅があった場所を指さす三條すみゑさん(撮影・三須一紀)

100人以上が犠牲になった石巻市長面地区で三男泰寛さん(当時17)を津波で亡くした三條すみゑさん(63)が、一瞬にして消え去った地元の風景や、息子が生きた証を語り継いでいる。昨夏、息子が津波にのまれた状況が新たに判明。避難中に被害に遭ったと思われていたが、自宅で母の帰りを待っていたことを知った。

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「おかん、映画見ておいで」。高校の卒業式を終えたばかりの泰寛さんは、自動車学校の帰りに迎えに来るはずだった母にそう告げ、自らはバスで帰宅した。

「忘れもしません」。三條さんは悔しそうに振り返る。大地震後、唯一通じたメール。午後3時過ぎ「ガスの元栓は閉めた」というメッセージを最後に、連絡が取れなくなった。

津波で陸地が水没するほどの大被害を受けた長面に、その日は到達することができなかった。13日、父経三郎さん(70)がやっとの思いで現地に赴くと、寺に並べてあった遺体に、息子を発見した。「3月13日、父が三男泰寛発見」と書いたガムテープを亡骸の腕に巻き付け、その場を後にするしかなかった。

300人ほどが身を寄せた避難所の体育館。「子どもが助かった地域と、助からなかった地域の住民が入り交じっていた」。その環境下もあって息子の死を聞いてもすぐには泣けない。三條さんは消灯後、布団を被って「声を殺して泣きました」。

震災から11年目となった昨夏、お盆で実家に戻っていた長男智寛さん(35)が新事実を口にした。当時、泰寛さんが隣人からの避難の誘いを断り「家の片付けをしてから出る」と話していたという。

母の心情を察し、あえて隠してきたが10年の節目を越え「おっかあが帰ってくるのを待っていたんじゃないか」と家族で話した。つらいが愛息の本当の最後を知れた。

自慢の息子だった。「バレーボール部だけど体操の内村航平選手に似ててね。166センチと小柄だったけどジャンプ力があって、バックアタックが得意だった」とうれしそうに語る。

取材した日も語り部活動をした。相手は高校生。どうしても息子の姿と重なる。あの日押し殺した涙が、今は自然とほおを伝った。【三須一紀】

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