残留日本兵・横井庄一さんの妻・美保子さんが天国へ
CBCテレビ
グアム島のジャングルに28年間潜伏し、1972年1月に現地の島民に捕らえられ、その年の2月に帰国することになった残留日本兵・横井庄一さん。56歳での帰国だった。
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帰国会見で「恥ずかしながら生きながらえておりました」と話し、「恥ずかしながら」はその年の流行語にも。
ジャングル生活を耐え抜いた横井さんが、その後日本社会でどう適応していくのか?そして、ジャングルではどう生きていたのか?ということは日本中の話題に。そして、「結婚は誰とするのだろうか?」ということも関心事だった。
その年の11月。名古屋の熱田神宮で式をあげたのは京都の女性。幡新美保子(はたしん・みほこ)さん。見合い結婚だった。
見合いの時に横井さんは、「あんたも私のことがものめずらしくこの席にきたのか?」という趣旨の言葉をかけた。
それに対して美保子さんは、「失礼な。あなたは何をおっしゃっているのですか?そんな気持ちで京都からわざわざ一人でここまで来ません」とピシャリとたしなめた。
その毅然とした振る舞いに横井さんは惹かれ、また、ひとまわり離れているものの互いにウサギ年生まれということで話がはずんだという。
その美保子さんが5月27日午後5時33分に京都市内の病院で亡くなられた。94歳だった。
横井庄一さんの「悲劇」伝え続ける
美保子さんは横井さんの遺言に従い、2006年に名古屋市中川区の自宅の一部を改装し「横井庄一記念館」を設立。横井さんがジャングルで暮らした地中の穴を再現した模型を展示したり、横井さんが晩年にかけて作った陶器を展示し、終戦を知らされないまま1人戦い続けた夫の「悲劇」を訪れる人たちに伝え続けた。
「戦争はだめ。平和がどれほど尊いことか・・・横井の戦争から少しでも感じていただきたい」と言い続けた。
しかし、新型コロナによって、無料開放してきた「記念館」も見てもらえなくなり、おととしから京都市左京区の実家に身を寄せていた。
そのサポートをしていた甥の幡新大実さんによると、横井さんの帰国50年となった今年2月に体調を崩し、内視鏡手術を受けて退院。しかしその後も体調が思わしくなく、5月27日未明に倒れ、午後5時33分に他界した。
「葬儀は近親者のみで静かに執り行いたいと思います。愛知県の有志の方々を中心にしのぶ会のようなものをやっていただけると本人にとっても一番いいのではないでしょうか…」と話してくださった。
甥の大実さんは、美保子さんが「横井の著書の中で一番好き」と言っていた「明日への道」を英訳した大学教授。横井庄一の研究者としても国際的に知られている。