安倍派パーティーで自民党の高木毅国対委員長(左)と言葉を交わす森喜朗元首相(2023年5月16日撮影)
安倍晋三元首相が昨年7月に凶弾に倒れた後、初めてとなる安倍派(清和政策研究会)のパーティーが、5月16日に都内のホテルで行われた。メイン会場に出席者が入りきれず、ホテル内の他の会場とオンラインでつなぐのは、安倍氏が会長就任後初めての会となった昨年と同じ。出席者も3000人と盛況の様相だったが、昨年と違う場面があった。それは、会に出席した森喜朗元首相(85)のあいさつがあった昨年と、なかった今年の違い。今回は、森氏のあいさつがないだけでこんなに雰囲気が変わるのかと驚いたほどで、それだけ今の森氏の安倍派における影響力の強さを感じずにはいられなかった。
【写真】安倍派次期会長候補と取りざたされるメンバー達
なぜ、あいさつがなかったのか。複数の関係者の話を総合すると、当初は、あいさつの機会が検討されたが最終的に調整がつかず、森氏は途中で退席したようだ。岸田文雄首相があいさつをして退席した後、少し作業をして顔を上げたら、もう森氏の姿はなかった。
政治家や派閥のパーティー取材では、誰がどんな内容のあいさつをしたか把握するのが大きな仕事。あいさつは塩谷立・会長代理、世耕弘成参院幹事長、派閥元会長の細田博之衆院議長、公明党の山口那津男代表、岸田文雄首相、茂木敏充幹事長が行った。茂木氏ら党執行部、他の自民党派閥からの代表者が登壇し、昨年はこの後に森氏があいさつした。
森氏の昨年のあいさつは、話題になった。所属人数が97人(当時、現在は100人)になったことを念頭に「数を誇っちゃいけない。あと何人で100人になるぞ、なんてやっている時がいちばん危ない。それで滅びたところがたくさんある」「数があればなんでもできると思ったところから崩壊が始まる」と、本来、権力の源泉となる「数の力」に関する持論を述べ、勢力維持への注意点も語った。「これだけの数がそろった派閥は、ほとんど私が作った」とも述べたように、森氏はもともと森派時代の清和会の領袖(りょうしゅう)。そして、安倍氏亡き後の今、自身が基盤作りに関わったと自負する派閥の行方に、強い影響力を持っているとみられている。
昨年7月に安倍氏が亡くなり、まもなく1年となるが、依然次期会長が決まらない安倍派。森氏はこれまで、特定の議員の名前(松野博一官房長官、高木毅国対委員長、西村康稔経産相、萩生田光一政調会長、世耕氏)を挙げながら、後継会長人事にたびたび言及してきた。この日のパーティーでも、森氏が「後継会長」に何らかの形で言及するとみられていただけに、まさかのあいさつなし&途中退席という「異変」。後継人事をめぐる森氏と森氏の発言を警戒する派閥側のせめぎ合いが、その理由だと受け止められていて、逆に、必要以上にかき回されたくない派閥側の警戒感もにじんだ。
首相のあいさつの後から退場する参加者は見受けられたが、森氏も会場を後にすると、空席が目立つようになり、場の空気も変わった。熱量が明らかに少なくなった。場内にも、森氏の発言への「期待感」みたいなものがあったのかもしれない。結果的にあいさつした「会長候補」に名前が挙がる人は、世耕氏のみ。世耕氏は「(次期会長候補に関しては)『小粒ばっかり』『どんぐりの背比べ』などと言われたが、毎日ニュースで(安倍派の)主要メンバーを見ない日はない」とアピールした。一方、森氏が次期会長候補に名前を挙げた萩生田氏や西村氏は、岸田政権の閣僚や自民党幹部として仕事をするメンバーの1人として、壇上で紹介されただけだった。
会の最後には、所属議員全員が壇上に上がった。森氏の言う100人という「分裂リスク」を抱えた派閥の結束を、全員でアピールしたようにも見えた。ただ、中心に安倍氏がいた昨年とは対照的に「見せ場」というにはほど遠かった。
会長代理の塩谷氏は「いずれ引っ張っていくリーダーも必要。だれがなってもしっかり日本の政治を動かしていきたい」と、いずれは会長を決める考えを示したが、出席者の1人は「『だれが(会長に)なっても』というのは、本音ではないはず。だれがなっても、必ず反発する人はいる。派閥が割れかねないリスクがある。だから、決められないんだ」と、苦笑いしながら解説してくれた。
ホテルから帰る時に「なんか、パッとしなかったな」という出席者同士の会話を聞いた。派閥の将来に向けた「道筋」が示されなかったことへの期待外れ感は、少なからずあったのかもしれない。一方、示されたら示されたで、混乱も起きただろう。森氏が去った後の場内の熱量の少なさは、次期会長人事を控えた「嵐の前の静けさ」だったのかもしれない。【中山知子】