【解説】 反乱後のプーチン氏、ロシア各地で登場 その目的は
スティーヴ・ローゼンバーグ、ロシア編集長
ウラジーミル・プーチン氏はどこだ――? 6月26日の時点で、私たちはほぼ一日中、そう思っていた。雇い兵集団ワグネルが劇的な反乱を起こして、戦闘員の車列が首都モスクワに向かったのは、その2日前のことだった。
24日深夜に大統領広報官が、反乱は未遂で終わり、政府とワグネルは取引したのだと発表した。しかし、大勢が首をかしげる合意内容について、大統領自身がいつ発言するのかが、注目されていた。
ロシア政府とワグネルの合意に大勢が首をかしげたのは、ワグネルの戦闘員は複数の軍事拠点を(どうやらあっさりと)掌握し、そして首都へと進軍したからだった。その渦中ではロシア空軍のパイロットが殺された。それにもかかわらず、クレムリン(ロシア大統領府)は、ワグネルが反乱を中止することと引き換えに、戦闘員やリーダーのエフゲニー・プリゴジン氏を起訴しないことに合意した。
その後、プーチン大統領は公の場に異例なほど次々と姿を現した。テレビカメラが毎回、その様子を中継した。国内の混乱をそうやって鎮めようとしているのは、明らかだった。
■26日(月):国民に演説
26日には、プリゴジン氏がその言い分を明らかにした。オンラインに投稿した音声メッセージで、自分の主張を説明し、自分の部下たちがモスクワへ向かったのは、ウクライナでの戦争で「間違い」を犯した幹部に「責任を取らせる」ためだったと述べた。
続いてその日の夜遅く、発表があった。「待機せよ。プーチン大統領が国民に話をする」のだと。クレムリンのリーダーが遅れを挽回しようとしている、そんな感じがした。
プーチン氏は午後10時を過ぎて、テレビ画面上に登場した。大統領が深夜に演説するのは、極めて珍しい。ソーシャルメディアには、この演説が「ロシアの運命を決める」だろうと憶測が飛び交う。不安な思いを抱えながら、私たちも大統領演説を見るためにロシアのテレビをつけた。
この演説がこの国の運命を決定しないことは、すぐに明らかになった。これといった重要な発表はなかった。しかし、5分間の演説から、クレムリンが週末の劇的な顛末(てんまつ)をどのように説明して、どのように自分たちの得点にしようとするのか、その手掛かりは得られた。
自分が率いるロシアは、ワグネル指導部の裏切りを打倒するため、一致団結したのだ――と、プーチン氏は語った。
大統領はありとあらゆる人を、自分の味方につけようとした。ロシア国民に感謝し、政府当局者や宗教指導者に感謝し、ロシア軍と親衛隊に感謝した。ワグネルで反乱の先頭に立った幹部と、一般の司令官や戦闘員を区別し、後者は愛国者だとたたえた。そして何より我こそは、とんでもない流血の事態を回避してみせたのだと、大統領はそのように語った。
「この事態が始まってただちに、私の直々の命令に沿って、流血を回避するための措置が講じられた」と、プーチン氏は述べた。
大勢が首をかしげていると私が指摘した点については? 大統領はそれには触れない。それでも、ほら、ロシアは瀬戸際から下がることができたのだし。一番大事なのはそこだ。
■27日(火):閲兵
月曜日は遅れの挽回に懸命だった。火曜日の朝になると、自分の権威回復のため、プーチン氏はフル回転で動き始めた。
閲兵式の開催が急きょ決まり、当局はこれでもかと壮麗な式典を用意した。クレムリンの聖堂広場には、軍や国家親衛隊や治安当局から約2500人が並んだ。ここはかつて、ロシア皇帝の戴冠式の(そして葬儀の)行列が歩いた場所だ。
そこへプーチン大統領登場だ。大統領用のファンファーレが響く中、だくさんの階段を広場まで下り(もちろん赤いじゅうたんが敷き詰めてある)、クレムリン宮殿の玉ねぎの形をした屋根をバックに、全軍の総司令官は兵士たちに演説を始めた。
しかし、大統領が口を開く前から、何を言わんとするかはだれの目にも明らかだ。大事な要素が一カ所に集まっている。ロシア正教。クレムリン。大統領。そして軍隊。ロシア帝国時代のスローガンを私は思い出す。「我が信仰のため、皇帝のため、そして祖国のため」というものだ。
要するに別の言い方をすれば、いかにロシア国家がプーチン氏を先頭に団結しているかを、視覚的に見せることが、この式典の目的だった。まるで教会と軍と大統領は結びついていて、ひとつの存在なのだと、ロシア国民にそう信じ込ませようとしているかのようだった。
ここでの短い演説で、プーチン大統領はまたしてもワグネルの反乱を経てロシア社会がひとつにまとまったと主張した。しかし大統領は何より、いかに軍隊が「内戦を食い止めた」かを強調し、しきりに軍を称賛する。
死亡した空軍パイロットたちのため、1分間の黙祷(もくとう)がささげられる。大統領も弔意を示すが、それでもここでも、なぜ複数のロシア兵を死亡させたワグネル戦闘員が訴追されないのか、大統領は口にしない。
演説終了。国歌演奏。礼砲。
この式典のいわんとするところはつまり、大統領は事態を掌握しているというそれだけではない。ロシア軍とロシア国民の助けを得て、大統領は偉大な勝利を実現した。こう言いたいのだ。
■28日(水):国民のすぐそばに
今回の一連のプーチン動画で、一番驚いたのはこれだったかもしれない。今回どころか、今年を通じて。というのも、非常に「プーチンらしくない」プーチン氏の姿だったからだ。集まった群衆の近くに接近して、親しくやり取りをしたという意味で。
プーチン大統領がダゲスタン州を訪れた、表向きの理由は、国内観光について会議を司会するためということだった。
しかし、ロシアのテレビ各局がその訪問を大々的に取り上げたのは、会議の内容が理由ではない。異様な光景が繰り広げられたからだ。
カスピ海に面するデルベント市内で、大統領を熱烈歓迎する市民がプーチン氏を取り囲んだ様子――だという映像を、各局は流した。
プーチン氏と言えば、他人との距離をかなりあけるのだと、そういう光景に私たちはならされてしまっていた。クレムリンのあの長いテーブルの写真を覚えているだろうか? プーチン氏がその端に座り、安全確保のためにたっぷり距離をとった遠い反対側に、客が座っている光景を、私たちは何度も目にしてきた。
しかし、ここでは違う。ダゲスタンで大統領は子供たちにキスをして、女性たちを抱きしめ、たくさんの市民と握手をかわし、写真撮影のために一緒にポーズをとった。
国営テレビは大喜びだ。
「歓声と喜びの叫び、そして拍手」。国営テレビ「ロシア1」で人気のトークショーで司会者は絶賛した。そして、「ロックスターでさえこれほどの歓迎は受けない。プリゴジンの反乱で大統領は立場が弱くなったと西側はばかにしているが、実際にはその反対だとこれで証明された」と強調した。
プーチン氏の行動はあまりにも彼らしくない。とは言うものの、ロシアではもはや、「いつも通りだ」と思えることなどほとんどないのだ。
ロシアの大統領は武装蜂起を生き延びたばかりだ。もしかすると、国と政治エリートと自分自身に、今でも自分には支持者がいると明示する必要を感じていたのかもしれない。一般市民が「自発的」に大統領を大歓迎してくれれば、まさにうってつけだ。
ダゲスタンでのこの日のいろいろな画像を見ながら、週末の光景を私はいきなり思い出した。反乱終結のための取引が交わされた後の様子を。プリゴジン氏率いるワグネルが24日夜にロストフ・ナ・ドヌから引き揚げたとき、市民は通りで応援の歓声を上げていた。
もしかすると、その映像をプーチン氏もみたのだろうか? それだけに市民が自分を「英雄」のように歓待する光景が、自分も必要だと思ったのだろうか?
その答えは永遠にわからないままかもしれない。
■29日(木):スタンディング・オベーションと落書き
プーチン大統領はモスクワで、ビジネス会議に出席した。昨日のようなロックスター並みの大歓迎は、ここでは受けない。
それでも、(1) 仕切っているのは自分で、(2)自分はまだ元気で、(3)自分はまだ国民から支持されている――と示す機会があるなら、なんでもいいのだろう。
大統領が会議場に入ると、拍手で迎えられた。大統領は着席し、会議の主催者の基調講演を聞き始めた。
「ウラジーミル・ウラジミロヴィッチ、あなたとそして全国民と共に、私たちも6月24日の出来事を不安な思いで経験しました」と、主催者はプーチン氏に語りかけた。「私たちは全員あなたを支え、あなたを支持しています」と。
その思いを立証するかのように、全員が立ち上がって拍手した。スタンディング・オベーションだ。
同じイベントでは、別の動画が話題を呼んでいる。参加者のスタンディング・オベーションよりいささか異様な光景だ。プーチン大統領が、インタラクティブ型のホワイトボードに、落書きをしているのだ。
大統領が描いたのは、漫画風の赤い顔で、毛が3本くねくねしている。政治的な生き残りの技を体得してきた指導者による、奇妙な落書きだった。
忠誠を誓う兵隊の列。礼砲。ファンの歓声。スタンディング・オベーション。こうした一連の光景から、クレムリンのリーダーは自分の復権を強調し、事態を掌握しているのは今も自分だと示そうとしている。
落書きをする余裕さえある。自信があるに違いない。
反乱が終わってからのプーチン氏は、フルスピードでこの1週間を駆け抜けた。ここもあそこも、あらゆるところに出現し、神出鬼没だった。まるで再選を目指す選挙運動を開始したかのようだった(来年には現在の大統領任期が満了する)。
だからといって、武装蜂起がクレムリンの意表を突く事態だったことに変わりはない。脅威だったことにも変わりはない。反乱の中止が宣言された時、ワグネルの戦闘員はモスクワへ接近していたのだ。プーチン氏の権威が、かつてない形で挑戦を受けた出来事だった。
その長期的な影響がどうなるのかは、まだはっきりしない。
(英語記事 Deciphering Vladimir Putin’s many appearances since mutiny)
(c) BBC News