【特集】僕を釣りに誘ったあの日、父は母を殺していた… “死刑囚の子”となった青年の凄絶半生 自殺未遂、自戒の刺青「絶対に許せない。けど…」交錯する父への思い―

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“人殺しの息子”となった大山寛人さん

 母を殺した父への憎しみと、殺された母への悲しみに襲われる中、“人殺しの息子”となった寛人さんには厳しい現実が待ち受けていました。世間からの誹謗中傷、最愛の母を救えなかった後悔からの自傷行為、自殺未遂…その凄絶な人生と、いつ刑が執行されるか分からない父に、今思うこととは―。

【動画】22年前、夜釣りに誘われたあの日、父は母を殺していた… “人殺しの息子”を襲う凄絶な現実「絶対に許せない。けど…」死刑囚となった父親への思い―

車に乗ると母が助手席に…「僕は眠っていると思っていました」

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今は名古屋市で一人暮らし

Q.今はどんな仕事をされているのですか?
「風俗系の仕事、風俗店員です。一般職をやっていた時期もありますが、結局父親のことがばれてしまって。“人殺しの息子”という特殊な立場の人間を雇うことは難しいという形でクビになることが多くて…」(大山寛人さん)

 全ては23年前、あの夜から始まりました。

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寛人さんの父、大山清隆死刑囚(61)

「僕が急いで釣り具を準備して車に乗り込むと、お母さんは助手席のシートを倒して横になっていました。だから僕は、眠っていると思っていました」(寛人さん)

 しばらくして港に着くと、母親を車内に残し、寛人さんと父親は、離れた場所で別々に釣りを始めました。

「お父さんから『今、海に何かが落ちたような音が、ボチャンという大きい音が聞こえなかったか?』と言われました。すると、ある異変に気付いて…。助手席で眠っていたはずの、母親の姿がなかったんです。その瞬間に僕は、一気に血の気がひいたというか、青ざめました」(寛人さん)

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寛人さんの母、大山博美さん(当時38)

「お母さんは海からすぐに引き上げられたんですけど、本当に人形のようにぐったりしていて。お父さんは、『お母さんは大丈夫だから』ということを繰り返し僕に言っていましたね。だからもう、ただただ必死というふうにしか見えなかったです」(寛人さん)

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