捨て子だった女性が、無戸籍のまま過ごした70年 やっと手に入れた「家族」との日々も、死後は身元不明の無縁仏に

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橿本芳江さん

捨て子だった女性が、無戸籍のまま過ごした70年 やっと手に入れた「家族」との日々も、死後は身元不明の無縁仏に

橿本芳江さんの思い出を語る門口守子さん(左)と義娘の幸代さん(右)(6月1日撮影、神戸市西区)

捨て子だった女性が、無戸籍のまま過ごした70年 やっと手に入れた「家族」との日々も、死後は身元不明の無縁仏に

(写真:47NEWS)

捨て子だった女性が、無戸籍のまま過ごした70年 やっと手に入れた「家族」との日々も、死後は身元不明の無縁仏に

橿本さんが暮らし、亡くなった教会の部屋を紹介する中川敬悟さん(6月1日撮影、神戸市西区)

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橿本芳江さんが昭和28(1953)年5月に保護されたことを示す「身上調書」の一文

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還暦をお祝いされた橿本芳江さん

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橿本芳江さんが毎日食事した教会の食堂(6月1日撮影、神戸市西区)

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行事で「カップヌードルミュージアム 大阪池田」(大阪府池田市)を訪れた橿本芳江さん

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橿本芳江さんを「行旅死亡人」として掲載した官報(2023年3月22日)

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橿本さんが死後に納められる予定だった合葬墓(6月1日撮影、神戸市西区)

【写真】「中国残留孤児」は聞いたことがあっても「残留婦人」は

 ▽駅の子

 二階建ての教会から出迎えてくれたのは、「社会福祉法人まほろば」(兵庫県三木市)常務理事の門口守子さん(83)と事務局長の中川敬悟さん(60)だ。天理教信者でもある2人は、教会で生活していた晩年の橿本さんを見守り、支援してきた。

 橿本さんが以前に暮らした施設から、門口さんらに引き継がれた記録などによると、橿本さんは1953年5月、国鉄神戸駅(現在のJR神戸駅)で、生後間もなくの捨て子として見つかり、保護された。両親が誰なのか、どういう背景があって放置されていたのかは全く分かっていない。

 橿本さんが見つかった1953年当時の神戸駅は、どんな様子だったのだろうか。気になって神戸市立中央図書館に尋ねると、1957年発行の「神戸駅史」(神戸駅編、非売品)という書籍があると教えてくれた。

 書籍によると、その年、神戸駅はまだ戦後の混沌の渦中にあった。駅南西の鉄道用地にはバラック小屋が並んでおり「一つの部落を形成し、クズ問屋とか日雇人夫とかの貧民達が、地代の催促もないままに、世帯数は六十五程であつた」という。駅側が立ち退き警告を発し、バラック側が抵抗する一幕もあったようだ。また「浮浪者取締や、年中を通じてのホームにおける闇米取締等の問題があつた」とも記されていた。

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