パレスチナ自治区ガザから退避した国際NGO「国境なき医師団」のスタッフ、白根麻衣子さんは「毎日空爆の音を聞き、水や食料が不足していく中で、命の危険を感じていた」と語ります。報道各社の取材に時折、涙を浮かべた彼女が振り返るのは、まさに「極限状態」であったという3週間です。
張り裂ける思い
ガザ北部から南部に避難していた白根さんは、ある日、国境なき医師団の車両に追いかけてくる住民たちの叫び声を背に、「車に乗せてくれ」「なんで行ってしまうんだ」という思いで胸が張り裂けそうになりました。
今年5月からガザ市で働く白根さんは、戦闘が始まった10月7日朝、宿舎の自室で爆音で目を覚ましました。「目の前のビルの後方から、これまで見たこともない数のミサイルが打ち上げられていた」と彼女は振り返ります。
イスラエルによる反撃は昼夜を問わず行われ、宿舎と道路を挟んだ建物も破壊されたのだとか。白根さんは南部への避難途中、数え切れないほどの爆撃を目撃しました。支援していた病院も被害に遭い、彼女の怒りは爆発しました。
通信も途絶
ガザから南部に避難した白根さんたちは国連施設の屋外で避難生活を始めましたが、空爆は続き、危険な日々が続きました。食料は缶詰や野菜、パンなどでしのぐ日々でしたが、物資は徐々に不足していきました。「最後は食料が尽き、1日に1回だけ料理し、分け合って食べた」と白根さんは告白します。
最も不安を感じたのは、ガザの通信網が遮断された10月27日のことです。「あなたなら大丈夫」と母に励まされながらも、連絡ができなくなってしまったのです。通信が途絶えたため、住民たちも救急車を呼ぶことができなかったと憤慨する彼女。
退避、思い複雑
今月1日、エジプトとの国境にあるラファ検問所に車で向かうことができるという連絡を受けた白根さんたち。「本当に越えられるのか」「これからガザはどうなるのか」という複雑な思いが彼女の心を交錯させながら、エジプトへの入国手続きを終えました。
ガザ市からの退避を経験した白根さんによると、戦争の中で生き延びるためには、何よりも「希望を持ち続けることが大切」とのことです。彼女が目撃し、経験した「極限」の3週間は、一生忘れることのない記憶となったことでしょう。
本記事の情報源:日本ニュース24時間