歌手の吉幾三(70)が、BSフジの「霜降り明星のゴールデン☆80’S」に出演し、1984年にリリースした名曲「俺ら東京さ行ぐだ」の制作秘話を明かしました。
千昌夫との出会い
吉幾三は、1984年に演歌界の大御所・千昌夫に提供した曲「津軽平野」がヒットし、千のプロデュースで「俺ら東京さ行ぐだ」がリリースされました。吉幾三と千昌夫の出会いは、吉幾三が「千昌夫という男に会ってみたい」と言ったことから始まります。その後、夜中に何度も飲みの誘いがあり、吉幾三は当時を懐かしみつつも「それはきつかった」と振り返りました。
しかし、吉幾三は「彼と会ってから、ほぼ考え方が変わりました。人との接し方とか、お金の使い方とか、お金の貸し方とか。凄く勉強になった」と感謝の気持ちを述べました。千昌夫から言われて印象に残っている言葉については、「お前の頭の中には何億という金が眠っている」というものです。吉幾三は最初は意味が分からなかったといいますが、千昌夫は初対面の時点で、吉幾三の作詞・作曲能力を見抜いていたのだと話しました。
「津軽平野」のサプライズ
吉幾三が千昌夫に提供した「津軽平野」について、吉幾三は自身の父親を思って詞を書いたことを明かしました。そして、千昌夫がその歌を聴いた時に涙し、「僕にこの歌を歌わせてくれ」とお願いしてきたそうです。吉幾三は「これは私と父の歌なので」と断りましたが、千昌夫は譲らず、「絶対ヒットさせてやるから」と言いました。
そして、千昌夫は「僕が『津軽平野』を歌う代わりにお前は『俺ら東京さ行ぐだ』を出せ」という“交換条件”を提示しました。吉幾三は困惑しながらも、「出せって言っても、レコーディングするのに何百万もかかるでしょ」と言いました。すると、千昌夫からは「全部俺が出してやる」と費用を全て出すことが約束され、結果的に同じレコーディング会社から制作されたとのことです。
これによって、「俺ら東京さ行ぐだ」は大ヒットし、吉幾三の代表曲の一つとなりました。
以上が吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」の制作秘話です。このエピソードからも、吉幾三と千昌夫の交流が深かったことが伺えます。彼らの素晴らしいコラボレーションが、多くの人々に感動と喜びを与えたのでしょう。