ぷよぷよ生みの親、売上高70億円の絶頂からわずか一年で「ぷよ」のように会社はじけ人生一転…「ぷよの縁」再びゲーム開発の世界に

ぷよぷよ

eスポーツの競技として今も人気の「ぷよぷよ」(2019年5月)。

社内が賑わっていた。社員たちが深夜まで帰宅せず、発売が迫ったゲームソフトに夢中になっていた。普段はあまり関心のない女性社員も熱中して指を動かしていた。

「ぷよぷよランド」

1992年12月、広島市のゲーム会社「コンパイル」。社長の仁井谷正充さん(当時42歳)は、初めて見る光景に自信を深めた。「1000年先も楽しめるゲームができた。」それが、シリーズ累計で1000万本を売り上げるパズルゲーム「ぷよぷよ」の改良版だった。

落ちてくるスライム「ぷよ」の同じ色を4個つなげて消していく。親しみやすいキャラクターと簡単なルール、消滅が連鎖した時の爽快感は、幅広い世代の心を捉えた。

会社の売上高は1997年3月期、過去最高の70億円に達した。しかし、わずか1年後、会社は「ぷよ」のようにはじけ、そして消えた。(科学部 林尭志)

「落ちゲー狙います」社長の宣言から大ヒット

誰もが知るヒット作は、社長の一言から生まれた。

「『落ちゲー』を狙います。」1990年夏、東京都内の飲食店。広島市にあったゲーム会社「コンパイル」の社長、仁井谷正充さん(73歳)は、ゲームメーカーの幹部に宣言しました。

落ちてくる物体を消していくゲームは、「落ちゲー」と呼ばれます。前年に発売された任天堂のゲームボーイ版「テトリス」は爆発的な人気を呼び、世界で3000万本を売り上げました。

ぷよぷよのプレー画面

作りは単純で開発費も安い。従業員約50人の地方の会社でも、アイデア次第で勝負できると考えました。「周りで見ている人も引き込まれる仕掛けを考えてほしい」と、開発陣に指示しました。

社員の提案で、主役にはスライムの「ぷよ」が選ばれました。以前に作られた「魔導物語」に登場するキャラクターを再利用したものでした。

「開発陣はみんなオタクだから、かわいいものが好き。『面白い。いいじゃん』と思った」と仁井谷さんは語ります。新たなキャラクターを作るには、開発費と納期までの時間が足りないという事情もあり、ゲームの名前は「ぷよぷよ」に決まりました。


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