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パワーハラスメント疑惑や贈答品要求などで失職した斎藤元兵庫県知事(46歳)。 職員を自殺に追い込んだと非難されながらも再選への意欲を表明し、世間を騒がせています。 世間からは「鋼のメンタル」と揶揄され、厳しい目が向けられています。
【ひと目でわかる騒動まとめ】齋藤前知事が辞職するまで、何が起きていたのか?
しかし、ここにきてハラスメントの証拠が乏しいことや、5期20年の長期政権を築いた井戸敏三前知事(79歳)との確執など、新たな事実が浮上し、風向きが変わってきているのも事実です。
なぜ斎藤氏は知事の座への執念を燃やすのか? そして、一連の騒動の本質とは? 今回は、週刊現代のスクープ記事を元に、知られざる斎藤氏の素顔に迫ります。
斎藤氏擁立劇の始まりは「自民党内の対立」
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2020年11月、大阪市内の会議室で、複数の兵庫県議が、当時大阪府財政課長だった斎藤氏に知事選への出馬を要請しました。
当時の自民党兵庫県議団は、井戸前知事の後継候補である金沢和夫副知事の擁立を巡り、分裂状態にありました。 斎藤氏に知事選出馬を打診したのは、井戸路線からの脱却を目指す「改革派」と呼ばれる県議グループでした。
「井戸氏は自らの後継に金沢氏を指名し、多数決で決定することを強行しようとした。 しかし、これに反発した党内の一部が水面下で動いていた」と、あるベテラン県議は語ります。
維新の参戦で「流れは大きく変わった」
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東京大学経済学部を卒業後、2002年に総務省に入省した斎藤氏は、その後大阪府に出向し、財政課長という要職を任されていました。
「斎藤氏は以前から政界進出を視野に入れていたようだ。 自民党内の改革派が少数派であっても、自分を支持してくれるのであればと、知事選出馬を決意したようだ」と、兵庫県庁関係者は語ります。
斎藤氏の擁立動きを察知した井戸氏と自民党県連幹部は、2020年12月、井戸氏の引退表明と同時に金沢氏の支持を表明します。 しかし、この流れを大きく変えたのが、大阪維新の会の存在でした。
「当時、維新も兵庫県知事選への候補者擁立を模索しており、斎藤氏も候補者の一人だった。 そんな中、斎藤氏は松井一郎前大阪府知事と吉村洋文大阪府知事に、自民党から知事選出馬の打診を受けたことを報告した。 斎藤氏は吉村氏の信頼も厚く、通常2年で終わるはずの大阪府への出向も3年目に突入していた。 吉村氏も斎藤氏を応援したいという強い意向を持っていた」と、前出の県議は語ります。
このように、斎藤氏は、自民党内の井戸派と反井戸派の対立、そして維新の参戦という複雑な状況の中で、兵庫県知事の座を掴み取ったのです。