「オーバーツーリズムを訴える日本は、まだ外国人観光客を活かしきれていない」と仏紙記者が考えるわけ


【画像】SNSの撮影にもってこいだった「富士山とローソン」

2024年の夏、日本の米の値段が高騰した。その理由として、「外国人観光客のせいでもある」と日本の主要メディアはこぞって報じた。7月13日付の日本経済新聞も、スーパーで米の価格が2割も上がっていることについて、不作に加えて、訪日外国人という「余計な客」にも原因があると書いた。

米は日本人の主食なのだから、確かにこれは由々しき話である。しかし、実際には外国人による需要はごくわずかであり、この主張は支持できるものではない。

日本政府観光局によれば、2023年に日本が受け入れた外国人は2500万人。滞在期間は平均7.2日だとすると、全人口の0.4%でしかなく、日本人1億2500万人の食事はその260倍になる。このわずかな顧客層が、どうして相場に決定的な影響を与えることができるというのだろうか。農業を専門とするジャーナリストの山田優(やまだ・まさる)も「外需は総需要の1%にも満たず、影響は限定的だ」と見ている。

だとすると、この日経の記事や、他にも同じように書かれた無数の記事は、何を意味しているのだろうか。それは「日本のメディアが外国人観光客を、外からやってくる新たな脅威」とみなしているということだ。

「オーバーツーリズム」と呼ばれる、国内のある特定の地域に対する過剰な人の流入である。日本のメディアはこの災難に対して「観光公害」という言葉を使いはじめたが、これは驚くほど終末論的な響きを持っている。

「公害」は19世紀以来、文明の進歩が環境や人間に対してもたらす重大な脅威を表す言葉として用いられてきた。フランス語では「汚染(pollution)」や「災害(désastre)」などと訳される、意味の強い言葉だ。

大気、水、土壌の汚染など、自然に対する取り返しのつかない搾取を意味し、集団的な記憶に関わるような、まさに惨事を指す。それがいまでは、神社や寿司屋の前に群がる外国人に対して使われているのだ。



Source link