日本初の水中遺跡、その謎に迫る
長野県にある美しい諏訪湖。湖畔には多くの観光客が訪れますが、その湖底には、日本の歴史を紐解く鍵となる遺跡が眠っています。それが、日本で最初に発見された水中遺跡である「曽根遺跡」です。
約1万5千年前、縄文時代草創期の人々が暮らしていたとされるこの遺跡は、1908年に発見されて以来、多くの研究者を魅了してきました。なぜ、陸ではなく湖の底に遺跡があるのか? その謎を解き明かすべく、長野県環境保全研究所を中心とした研究グループは、初のボーリング調査に乗り出しました。
過去の環境を探るボーリング調査
調査が行われたのは、遺物の保護を考慮し、主な出土場所から少し離れた地点。湖底から約4メートルまで掘り進め、採取した堆積物の分析が行われます。
注目すべきは、堆積物に含まれる植物の炭素同位体。これを調べることで、地層が形成された年代を特定することが可能になります。さらに、堆積物の粒度分析などを通して、土砂の流入状況や地形の変化を把握し、遺跡周辺の環境変遷を明らかにします。
湖底から姿を現した堆積物は、縄文時代から現代までの環境変化を記録した貴重なタイムカプセルと言えるでしょう。
曽根遺跡をめぐる論争:地滑りか、水位変動か
曽根遺跡がなぜ水中にあるのか? これまで、様々な説が唱えられてきました。大地の変動による地滑りで遺跡が湖に沈んだという説、あるいは、諏訪湖の水位変動によって水没したという説など、「曽根論争」と呼ばれるほど、研究者の間で活発な議論が交わされてきました。
近年、信州大学と共同で行われた諏訪湖岸のボーリング調査では、過去1万6千年の間に、諏訪湖の水位が数百~数千年周期で変動を繰り返していたことが明らかになっています。今回の曽根遺跡のボーリング調査は、この水位変動説を裏付ける決定的な証拠となるかもしれません。
過去の堆積物は、湖の水位変動の歴史を物語っています。
水中遺跡の謎解明へ:縄文時代の暮らしに迫る
今回の調査では、採取した試料を分析し、遺跡の年代特定や周辺環境の変化を詳細に調査する予定です。
もし、水中にあった地層の下から、地表にあったことを示す痕跡が見つかれば、諏訪湖の水位変動説が有力となり、曽根遺跡が水没したプロセスが見えてくるでしょう。
縄文時代の人々は、どのように自然と共存し、この地で暮らしていたのか。今回の調査は、謎に包まれた水中遺跡の秘密を解き明かし、古代の人々の暮らしや文化、そして、彼らをとりまく自然環境に迫る貴重な機会となるはずです。