成田空港に「秘境」あり 30年前のターミナル駅にタイムスリップ


成田空港に「秘境」あり 30年前のターミナル駅にタイムスリップ

現在の東成田駅。かつて日本の玄関口を代表するターミナル駅だった頃の面影を残す=千葉県成田市の京成電鉄東成田駅で2022年4月21日、倉岡一樹撮影

 ◇薄暗いホーム、下りるのは数人

 京成成田駅から4両編成の電車で一駅。午前11時台に、地下にある東成田駅のホームに降り立つと、冷たい風が首筋をなでる。降りたのは記者を含め数人だけだ。ホームは二つあり、うち一つは使われていないのか、電気がついていない。

 どことなく薄暗く、空港利用者でにぎわう空港内の他の2駅(空港第2ビル駅と成田空港駅)とは様相が随分と異なる。

 「本当に成田空港の敷地内なのか」。しばし立ち尽くす。

 地上出入り口に立つと、かつて「成田空港駅」だった“栄華”の面影がある。階段の幅が広く、駅舎も大きい。バスや車を横付けできる専用スペースもある。

 見回すと、いくつもあるガラスのドアはほぼ閉め切られ、ドアの上に見えるむき出しのボルトも寂しげだ。駅舎に隣接する検問所も役目を終え、警察犬の待機所となっている。

 「ドアは利用者が少ないので閉め切っています。ボルトにはかつて『NARITA AIRPORT STATION』と書かれた駅名看板が掛かっていました」。東成田駅や成田空港駅などの駅長を兼務する増田敦さん(54)がそう教えてくれた。

 ◇初代「成田空港駅」だったが…

 この東成田駅は1978年の成田空港(当時は新東京国際空港)開港にあわせ、初代「成田空港駅」として開業した。1991年3月19日に第1ターミナル地下に現在の成田空港駅が新たに開業すると「東成田駅」へと改名された。ターミナル駅の座を譲り、ローカル駅へと“格落ち”した格好だ。

 第1、第2ターミナルの中間に位置し、双方から離れている。空港に乗り入れる唯一の鉄道だったが、当時は有料の連絡バスか徒歩でターミナルへと向かわざるをえなかった。

 なぜこんな不便な場所に空港のターミナル駅を建てたのか。

 京成電鉄や空港関係者などによると、1987年に消滅した成田新幹線計画が原因のようだ。

 計画では、ターミナル地下には国鉄(当時)の新幹線の駅ができる予定だった。このため、乗り入れを認められなかった京成が選んだ苦渋の策だったらしい。京成に当時あった九十九里方面への路線延伸計画も絡んでいるという。

 現在の成田空港への足は京成スカイライナーが代表格といえる。日暮里駅(東京都荒川区)から空港第2ビル駅まで最速で36分で結び、ほぼ終日20分間隔で運行する。そのスカイライナーが走る同社の成田空港線(スカイアクセス線)の一部にも、計画が頓挫した成田新幹線建設のために取得された用地が使われている。

 ◇最盛期には1日平均2万6000人が利用

 東成田駅地下1階のコンコースもまた広い。壁に掛けられた一枚の大きなレリーフが目を引く。タイトルは「曲水の宴(うたげ)」。平安貴族をモチーフに描いた陶板製で幅は8メートル、高さも3メートルある。作画は日本画家の巨匠、森田曠平。造形はベルギー人のルイ・フランセンが担った。海外からの客を意識したようだ。

 コンコースは当時海外旅行客であふれかえったという。海外旅行ブームまっただ中の1990年度には最多となる1日平均2万6000人が乗降したという。

 1986年に高校を卒業して京成へ入社、駅員となった増田駅長は初任地が成田空港駅、つまり現在の東成田駅だった。1991年の地下ターミナル新駅(現在の成田空港駅)への切り替えも経験するなど10年間勤務し、駅の栄枯盛衰を知る。

 増田駅長が振り返る。

 「本数が多かった午後のスカイライナーは満席で、乗れなかったお客さんが一般車両の特急で来た。スカイライナーを6両から8両に増やしても混雑が続き、電車が着く度、当時あった検問待ちの客でコンコースがごった返し、エスカレーターを止めたほどだった」

 もう一つ、仮設フェンスで区切られ電気さえついていない場所が気になった。

 「ご案内しますね。行ってみましょう」

 増田駅長は「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉のカギを開け、特別に暗闇の中へと招いてくれた。

 ◇暗闇に眠るターミナル駅時代の「痕跡」

 明かりがつくと、かつてのスカイライナー専用ホームへの乗降スペースが姿を現した。使わなくなったため資材置き場に転用したという。その中に紛れるように、成田空港駅時代に使われていた機材が眠っていた。

 ・中に駅員が入り、切符を受け取ったりはさみを入れたりした銀色のボックス「ラッチ」

 ・「なりたくうこう」と書かれた駅名看板

 ・現在より本数が少ないスカイライナーの時刻表

 ・外国為替専門銀行だった東京銀行(現在の三菱UFJ銀行)の広告看板――。

 「現成田空港駅は『東成田』に変更いたします」と地下ターミナル新駅の開業による駅名変更を告げる張り紙には「平成3年3月」とあった。

 増田駅長は「自動化きっぷ入口」と書かれた看板を指さし「自動改札のことです。当時主要駅にしかなく、大半のお客さんは使えずラッチが主流でした」と懐かしんだ。

 その奥に喫茶店の遺構があった。

 成田空港駅時代に営業していた「軽食・喫茶 エクレール」だ。店内は奥行きがあり、カウンターテーブルが2列。改札の中にあるため、スカイライナーとそれ以外の列車の利用客が混在しないように出入り口も店の中も分けたそうだ。

 店はそのまま残り、かつて料理サンプルが並んだガラスのケースもある。「当時本数が少なかったスカイライナーを待つお客さんでにぎわいました。人気はハンバーガーとポテトを組み合わせたセットやカレー。駅周辺には店がないので運転士や車掌の食事にも重宝しました。もちろん、私も食べたことがあります」と増田駅長は話す。

 ◇30年前のまま時の止まった事務室

 「スカイライナーのりば」と書かれた看板を見上げ、地下2階のホームへと階段を下る。到着時に見えた電気のついていないホームは、かつてのスカイライナー専用ホームだったのだ。

 線路が2本あり、1、2番線とそれぞれ番号を振られている。現在の1、2番線はかつての3、4番線で当時も一般の列車が発着した。「成田空港」の駅名看板や広告看板、そしてレトロな配色の壁もそのまま。当時配置されていた荷物を運ぶポーターや空港反対派を警戒する警察官らの姿まで想像できた。

 薄暗いものの清掃が行き届いていた。実はこのホーム、夜間に電車を留置する“現役”で、駅には運転士や車掌の宿泊施設もあるそうだ。

 駅員の事務室にも案内された。壁にかかったボードには手書きの仕事マニュアルや標語が並ぶ。カレンダーは1991年3月のまま。その中の手作り時刻表を指さした増田駅長が「これ、僕が色を塗ったんです」と教えてくれた。

 スカイライナーは赤、青が一般の特急、そして回送は黄色と瞬時に見分けがつくように塗り分けられている。「30年前のままです。記憶がよみがえりますね」。灰皿にはたばこの吸い殻が入っており、まるで現在も使われているかのような錯覚に陥る。

 次に訪れた乗務員控室には、さらに生々しい痕跡が残されていた。古い型の扇風機や当時の雑誌や新聞、そしてゴミ箱の中にはジュースの缶もあった。やはり全てそのままだという。

 とりわけ存在感を放つのがさしかけの将棋である。当時はスマホなどなく、運転士と車掌の休憩時間の楽しみはもっぱら雑誌、新聞、将棋だったという。

 何もかもが、「成田空港駅」としての最終日である1991年3月19日で止まっていた。

 ◇現在の利用者はほぼ空港関係者

 往時に思いをはせていたら、向こう側のホームに到着した電車のごう音で現実に引き戻された。やはり客はまばらだ。

 東成田駅にやってくるのは、朝夕を除くといずれも隣駅の京成成田と芝山千代田(芝山町)を往復する普通電車が両方面からそれぞれ1時間に1~2本のみだ。2020年度の1日平均乗降客数は1502人にとどまる。利用者は空港か近くの貨物会社などに勤める人がほとんどで、ごくまれに乗り間違えた空港利用客がいる程度だという。

 「やはり、複雑な気持ちですね」と増田駅長はため息をつく。2019年に駅長として成田空港駅へと戻って以降は、管轄し、駅長も兼ねる東成田駅にも頻繁に足を運ぶ。

 「駅に立つ度に若いころを思い出します。海外客の急増を受けて英語を学びました。特に多かったのは中国や韓国からの旅行客でした。中国の方の『上野』と『与野』の発音を聞き間違って四苦八苦するなど言葉の壁を感じましたが、意外にも筆談が有効でした。漢字を書けばお互い分かるんですね。ただ、そのころピカピカだった駅がほこりをかぶっているのはさみしいですね」

 社会人としてのイロハなど、この駅舎が増田駅長に駅員としての基本をたたき込んでくれたという。初代の東成田駅、現在の成田空港駅、双方への思い入れも深い。

 「東成田駅が私の基本。前線で走り回った駅員としてのルーツで初心の地です。以来ほぼ駅員一筋で、成田空港駅もずっと見つめてきました。成田空港駅は京成の一つの柱との自負があります」

 ◇「秘境駅」としてにわかに脚光

 忘れられたようにひっそりとたたずむ東成田駅が昨今、にわかに注目を集めている。もともと“秘境駅”として鉄道ファンの間には知られており、見学ツアーを実施するとすぐに埋まっていた。

 しかし、2018年に成田空港駅開業40周年記念の一環として、閉鎖している旧スカイライナーのホームなどを一般公開したことから広く知られるようになった。増田駅長は駅の改札口付近に、閉鎖しているゾーンの写真を収めたアルバムや連絡ノートを置いた専用スペースを設け、客の残したコメントに返事をしている。駅について解説した手書きのボードも作った。

 「“秘境”と言われることには『まだ営業しているよ』と複雑な思いもありますが、注目が集まることがとてもうれしい。せっかく来てくれるお客さんには写真も見るなどして楽しんでほしい」

 東成田駅へのひとかたならぬ思いがにじむ。

 ◇進む劣化、保存のための費用なく

 そもそも、遺構のような駅をなぜそのまま残しているのだろうか。京成電鉄によると、コストなどがその理由という。それゆえ保存目的ではなく、いや応なく劣化は進む。増田駅長は「なんとかして残したいと思っている」と話す。

 成田空港の“秘境”は、当時の駅員らの思いも30年の時を超えてそのまま残る貴重な近代産業遺産だと思った。

 ◇もう一つの名所「連絡通路」

 東成田駅は成田空港第2ターミナルとも地下の連絡通路でつながっている。全長500メートルの一本道で、窓もなく外も見えないので長いトンネルのようだ。

 やや傾斜のある道を進む。規則的に置かれた監視カメラがこちらを見つめる。時折壁に地元自治体の観光ポスターが貼られているだけの無機質な空間に自分の足音だけが響く。人けも無く、実際にすれ違ったのは警察官だけだった。「来る者を拒む」ような張り詰めた空気に満ちており、成田空港の敷地内であることを強く意識させられる。

 やや尻込みしながら歩くこと10分弱、“トンネル”を抜けた先は空港第2ビル駅の脇だった。突如として空港のにぎやかで華やかな雰囲気に包まれ、そのギャップに若干当惑した。

 まるで白昼夢を見ているかのような“旅”の仕上げだった。

 ◇メモ

 東京都心方面から東成田駅へ直通する電車は朝夕時間帯に数本あるだけ。京成成田駅で芝山千代田行きに乗り換えて向かうのが一般的だ。1駅約6分で到着するが、日中は1時間に1~2本しかないため注意を要する。また、スカイライナーや一般列車など都心からの本数が多い空港第2ビル駅から連絡通路で向かうこともできる。



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