韓国文学のノーベル賞受賞を支えた「翻訳」という名の橋渡し

数年前、アメリカのスーパーでレジに並んでいた時のこと。店員さんに「Paper or Plastic?」と尋ねられ、一瞬頭の中が真っ白になりました。聞き慣れない単語に戸惑っていると、店員さんはゆっくりと、まるで方言のような口調で「Paper, or, Plastic?」と繰り返してくれました。あの時の、憐れむような視線を今でも覚えています。英語学習書で学んだ英語と、実際に使われている生きた英語との間には、大きな隔たりがあることを痛感した出来事でした。言葉が通じない孤独感、もどかしさは、想像以上に辛いものでした。

altalt(写真:朝鮮日報日本語版) ▲小説家の韓江氏(右)と翻訳家のデボラ・スミス氏。スミス氏は『菜食主義者』の翻訳後、ソウルの延禧文学創作村で何度か作業した。/ブッカー賞の公式X(旧ツイッター)

今年のノーベル文学賞のニュースを聞き、当時の記憶が蘇ってきました。韓江氏の受賞は、韓国文学の素晴らしさを世界に知らしめる大きな一歩となりました。しかし、忘れてはならないのは、その裏には、韓国文学に魅せられた外国人翻訳家たちの存在があったということです。

翻訳は、言わば「出発語」から「到着語」への旅のようなもの。直行便がない場合は、乗り換えが必要になることもあります。これは文学の世界でも同じです。マイナーな言語で書かれた作品であればなおさら、どのようにして英語という「到着語」にたどり着くかが重要になります。韓国文学の場合、英語もしくはフランス語に翻訳されることで、ようやく世界への扉が開かれるのです。

韓国人初のノーベル文学賞受賞の影の立役者と言えるのが、デボラ・スミス氏です。独学で韓国語を習得し、韓国学の博士号まで取得した彼女は、『菜食主義者』を翻訳し、韓江氏と共に2016年にイギリスの文学賞「マン・ブッカー賞」を受賞しました。

altalt【写真】ソウル・光化門広場に展示された韓江氏の代表作と本を読む人々

スミス氏は、韓国文化に対する深い理解と敬意を持って翻訳に取り組んできました。「ソジュ」を「コリアン・ウォッカ」、「漫画」を「マンガ(manga)」と訳そうとするイギリスの編集者たちと対立し、原語をそのまま英語表記にすることを貫いたそうです。数年前に開かれた記者会見で、その理由を尋ねられたスミス氏は、「海外の読者が韓国文学に親しむようになれば、ソジュや漫画といった韓国独自の文化も、『寿司』や『ヨガ』のように、いずれ抵抗なく受け入れられる日が来るでしょう」と語っています。

ノーベル文学賞という文学界の頂点に、韓江氏はスミス氏という心強いガイドと共に登頂を果たしたと言えるでしょう。スミス氏は、文化的な壁を乗り越え、韓国文学の魅力を世界に伝える「翻訳」という名の橋渡し役を担っているのです。