日本の裁判官、そして最高裁判事と聞くと、どのようなイメージを抱くだろうか? 公正中立、誠実で優秀な人物が、市民の信頼を背負い、正義を執行する姿だろうか。しかし、現実は理想とは程遠い。長年裁判官を務め、法学の権威でもある瀬木比呂志氏の著書『絶望の裁判所』(講談社現代新書)は、日本の裁判所の恐るべき実態を暴き、大きな反響を呼んだ。本稿では、同書を基に、最高裁判事たちの知られざる人物像に迫り、日本の司法の「絶望」を紐解いていく。
キャリア組最高裁判事の4つの類型
瀬木氏によれば、キャリアシステムから最高裁判事に昇り詰めた人々は、大きく4つのタイプに分類できるという。前編ではA類型「秀才型」とB類型「努力型」を紹介した。今回は残りの2つのタイプ、C類型とD類型について見ていこう。
C類型:俗物、純粋出世主義者 (40%)
最高裁判事のイメージ
このタイプは、出世のためなら手段を選ばない、純粋な出世主義者と言えるだろう。例えば、過去にブルーパージ(司法官僚による左翼思想の裁判官排除)を自慢げに語る最高裁判事がいたという。瀬木氏は、このような人物はテレビドラマや漫画に登場すれば、「大物」として描かれるかもしれないと皮肉っている。
ある最高裁判事就任送別会のエピソードが、C類型の性格をよく表している。就任予定の裁判官が、「若い頃はビール小瓶一本飲むのが楽しみだった」と挨拶したところ、別の裁判官が「庶民の心を忘れないお方だ」と返した。これは明らかに皮肉と悪意を含んだ発言だったが、当の本人は全く気づかなかったという。
C類型の裁判官には、他にも目を背けたくなるような側面があるが、ここではこれ以上深くは触れないでおこう。
D類型:学者タイプ、変わり者 (5%)
裁判所のイメージ
このタイプは、学者肌で、やや変わり者とされる。法律の理論や学説に精通している一方で、現実社会とのずれが生じている場合もある。
例えば、最高裁判所の判例にこだわりすぎるあまり、柔軟な判断ができなかったり、一般常識からかけ離れた判断を下すこともあるという。
D類型は、他の類型に比べて数は少ないものの、その特異な存在感から、時に裁判所の雰囲気を大きく左右することもある。
「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」日本の裁判所
瀬木氏は、『絶望の裁判所』の中で、日本の裁判所は「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執していると批判している。最高裁判事の人物像からも、その一端が垣間見えるだろう。
『絶望の裁判所』から10年、瀬木氏の最新作『現代日本人の法意識』では、同性婚、共同親権、冤罪、死刑制度など、現代社会の難問を、日本人の法意識という観点から解き明かしている。
司法の未来を考える上で、これらの問題に目を向けることは不可欠だ。読者の皆様も、ぜひ一度これらの書籍を手に取り、日本の司法の現状について考えてみていただきたい。