「他人との関係が希薄な人が極端なことをする」 養老孟司さんが語る「現代人の勘違い」


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 東京メトロ・東大前駅で切りつけ事件を起こした容疑者は、「教育熱心な親たちに度がすぎると犯罪を犯すと示したかった」と供述しているという。その主張も行為も一般的に理解されないであろうことは言うまでもない。

『バカの壁』で知られる解剖学者の養老孟司さんは、新著『人生の壁』の中で、「自分の重みを無理にアピールする人間が極端な行動に走るのではないか」と指摘している。

 そのうえで、他人とかかわって生きることの大切さを説く。

 養老さんの話を聞いてみよう(以下、『人生の壁』より抜粋・引用)
 
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自分とは中身のないトンネルのようなもの

 トンネルというのは壁だけがあるけれども中は空(から)です。空ではないとトンネルとしては使えません。

 要は、自分なんて空っぽだというのです。面白いのは、この考えが老子と共通している点です。老子は、部屋は中が空でないと使えないと述べています。

 しかし、3歳の時の自分と80歳の時の自分が同じはずがない、というのが日本人の普通の感覚ではないでしょうか。
 
 キリスト教やイスラム教はそんなことは考えもしません。本質的な「自分」が存在しているという前提の上に成り立っています。だから無我なんて聞けば、「なんだそれ」と思うでしょう。

 そこで興味深いのが、メッツィンガーです。西洋人である彼は考えに考え抜いたうえで「トンネルだ」という結論に至ったのでしょうが、実はそれは仏教がずっと言ってきたことでした。一貫した自分なんてない、という考えはもともと日本では比較的すんなり受け止められてきたはずなのです。一方で、そういう考え方は、一神教の側から見ればいい加減に映ることでしょう。

 でも、「最後に神の前に出るのは誰だよ」という質問に彼らはどう答えるのでしょうか。仮にそういうことになった時に、神の前に立つのは何歳の時のあなたなのか。



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