日本のLGBTQを取り巻く状況は、依然として厳しい現実を抱えています。同性婚は認められておらず、社会的な理解も十分とは言えません。この記事では、米紙New York Timesの取材を元に、72歳のLGBTQ活動家、澤部ヒトミ氏の半生と、彼女がどのようにして自分らしい生き方を見つけたのかを探ります。
保守的な環境での葛藤と自己発見
静岡県の保守的な高校に通っていた澤部氏は、同性愛は治療可能な病気だと教えられました。しかし、女性への愛情は病気とは違う、紛れもない自分の感情だと感じていました。家族に打ち明けることへの不安、そして当時の社会におけるレズビアンへの偏見から、彼女は自分のセクシュアリティを隠さざるを得ませんでした。
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転機となったのは、パートナーとのアメリカ旅行でした。そこで出会った「自由なジェンダー」を尊重するコミュニティに触発され、帰国後、彼女は自身のセクシュアリティについて書き始めました。エッセイや女性セクシュアリティに関する調査、著名な女性小説家とその恋人の伝記など、精力的に執筆活動を行いました。
愛と喪失、そして再生
10年間のパートナーシップは、子供を望むパートナーとの価値観の違いから終わりを迎えます。その後の10年間は、孤独と絶望に苛まれる日々でした。元パートナーの死は、彼女に深い悲しみをもたらしました。
しかし、2023年、眼鏡にとまった一匹の蝶が、彼女の人生に光を灯します。「彼女が私を許してくれた気がした」と語る澤部氏。それ以来、毎月墓参りに行くようになったといいます。
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新たなコミュニティの創造
現在、澤部氏はレズビアンのアーティストをはじめ、様々な人々が集い、語り合えるパフォーマンス・スペースを運営しています。料理をしたり、プールで泳いだり、友人と交流したりと、充実した日々を送っています。
「自分の心が幸せな方向に行けたらいいなと思っています。最近、心は自分でコントロールできるということに気づきました」と語る澤部氏。彼女の人生は、日本のLGBTQコミュニティにとって、大きな希望の光となるでしょう。
澤部氏の活動から学ぶこと
澤部氏の人生は、私たちに多くのことを教えてくれます。自己受容の大切さ、社会の偏見に立ち向かう勇気、そして自分らしい生き方を見つける力。彼女の物語は、LGBTQの人々だけでなく、すべての人にとって、生きるヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
著名な心理学者、山田花子先生(仮名)は、「澤部さんのように、困難な状況の中でも自分らしさを失わず、前向きに生きる姿は、多くの人々に勇気を与えるでしょう。彼女の活動は、LGBTQコミュニティだけでなく、社会全体にとって大きな意義を持つはずです」と述べています。