三笠宮妃百合子さまが101歳で薨去されました。激動の時代を生き抜き、皇室を支えられた百合子さまの生涯を振り返りつつ、今後の三笠宮家の行方について考察します。
百寿を超え、安らかに永眠
2024年11月15日早朝、三笠宮妃百合子さまは聖路加国際病院にて老衰のため息を引き取られました。3月に脳梗塞と誤嚥性肺炎で入院、一時は回復に向かわれたものの、左心不全や再度の脳梗塞など、容態が急変。訪英中の彬子さまも緊急帰国するなど、緊迫した状況が続いていました。
三笠宮妃百合子さま
16日には納棺にあたる「御舟入」、最後のお別れとなる「拝訣」が執り行われ、26日には東京・豊島岡墓地で「斂葬の儀」が営まれました。両陛下をはじめ、多くの皇族方が弔問に訪れ、百合子さまの生涯に敬意を表されました。
戦争、そして皇室と共に歩んだ人生
1923年、高木正得子爵の次女として誕生した百合子さま。1941年に三笠宮さまとご成婚。戦時中は空襲で宮邸が焼失し、幼い長女の近衛やす子さんを連れて防空壕での生活を余儀なくされたというエピソードも。戦後は母子愛育会の総裁として60年以上もの間、尽力されました。
皇室専門家の山田一郎氏(仮名)は、「百合子さまは、戦争という厳しい時代を生き抜き、皇室の一員として常に国民に寄り添ってこられました。そのお姿は、多くの人々の心に深く刻まれているでしょう」と語ります。
子女に先立たれる悲しみ、そして皇室の未来
3男2女に恵まれた百合子さまですが、2002年に三男の高円宮さま、2012年に長男の寛仁さま、2014年には次男の桂宮さまと、相次いでお子様方に先立たれるという深い悲しみを経験されました。2016年には三笠宮さまも薨去され、百合子さまが三笠宮家の当主となられました。
百寿を迎えられた際には、「孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております」と所感を述べられていましたが、三笠宮家の今後については、様々な憶測が飛び交っています。彬子さま、瑶子さまを中心に、三笠宮家の伝統はどのように受け継がれていくのでしょうか。今後の動向に注目が集まっています。
三笠宮家の歴史と伝統、未来へ
三笠宮家は、大正天皇の四男、三笠宮崇仁親王によって創設されました。学術研究に熱心で、国際親善にも尽力された崇仁親王の遺志は、百合子さま、そして彬子さま、瑶子さまへと受け継がれています。今後の三笠宮家の活動、そして皇室の未来について、国民の関心は高まるばかりです。