2024年の新語・流行語大賞に「ふてほど」が選ばれ、話題を呼んでいます。TBSドラマ「不適切にもほどがある!」の略称として生まれたこの言葉ですが、多くの人が首をかしげているようです。「流行語と言えるのか?」という疑問の声も少なくありません。確かにドラマ自体は人気がありましたが、「ふてほど」という言葉自体が広く使われていたかというと、疑問が残ります。
「ふてほど」と「不適切報道」:言葉遊びが生んだ新たな意味
実は、流行語大賞発表後、X(旧Twitter)で「不適切報道」というワードがトレンド入りしました。これは、「ふてほど」を「不適切報道」と読み替えることで、テレビ報道の姿勢に疑問を投げかける、一種の言葉遊びです。ドラマのタイトルではなく、「不適切報道」こそが真の流行語だという皮肉が込められています。
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この現象は、兵庫県知事選挙における報道への不信感が背景にあると考えられます。SNSの影響力を指摘する一方で、自らの報道姿勢を棚に上げるメディアの態度に、多くの人が違和感を覚えたのではないでしょうか。
マスコミ批判の変遷:「マスゴミ」から「存在意義の否定」へ
インターネットの普及とともに、「マスゴミ」という言葉が生まれ、メディアへの批判は日常的なものとなりました。しかし、近年の批判は、以前の単なる反発とは異なる様相を見せています。兵庫県知事選挙の報道に対する批判は、メディアの存在意義そのものを問う、より根源的なものと言えるでしょう。
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私自身、長年メディア業界に身を置いてきた人間として、この変化を肌で感じています。かつては絶対的な権威を誇っていたテレビ報道への信頼が、揺らいでいるのは事実です。
兵庫県知事選挙報道の問題点:SNSへの責任転嫁?
兵庫県知事選挙において、メディアは「SNSが選挙結果を動かした」と報じました。そして、SNS上の情報には注意が必要だと呼びかける一方で、選挙期間中の報道規制を盾に、ネットとの違いを強調しました。まるで、選挙結果への責任をSNSに転嫁しているかのような姿勢に、強い違和感を覚えました。メディアの役割とは、情報を正確に伝え、公正な議論を促すことではないでしょうか。
メディアの未来:信頼回復への道
「ふてほど」という言葉遊びは、単なる流行語の枠を超え、現代社会におけるメディアと市民の関係性を映し出す鏡と言えるでしょう。メディアが信頼を取り戻すためには、謙虚に自らの問題点と向き合い、市民の声に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
メディア評論家の山田一郎氏(仮名)は、「今回の『ふてほど』騒動は、メディアに対する不信感が高まっていることを示す象徴的な出来事だ。メディアは、自らの役割を改めて問い直し、信頼回復に努める必要がある」と指摘しています。