【津山三十人殺し】 惨劇の幕開け、祖母の殺害…闇に響く斧の音

昭和13年、津山事件。30人の命が奪われたあの夜、一体何が起きたのか。事件の真相に迫る本稿では、犯人・都井睦雄が最初に殺害した人物、彼の祖母・いねへの残虐な犯行を克明に描きます。当時の時代背景、睦雄の複雑な心情、そして事件後の村の反応…様々な角度からこの悲劇を読み解き、読者の皆様に深く考えていただく機会を提供します。

闇夜に包まれた貝尾集落

事件が起きたのは、岡山県西加茂村(現・津山市)の貝尾という静かな山間の集落。昭和13年5月21日未明、深い霧雨が辺りを包み込み、人々は養蚕の作業に追われていました。ほとんどの住民が家の中で仮眠をとっていたまさにその時、睦雄は犯行へと動き出します。

都井睦雄がかつて住んでいた家都井睦雄がかつて住んでいた家

天井裏から現れた殺人鬼

睦雄は、天井裏に作った秘密の隠れ家から静かに起き上がりました。階下では、祖母・いねが深い眠りについています。睦雄は、学生服のような黒セルの詰襟服に茶褐色のゲートルを装着。まるでこれから出征する兵士のような姿でした。頭には鉢巻を巻き、二つの懐中電灯を装着。首からは自転車用のライトをぶら下げ、まるで闇夜を照らす死神のようでした。

周到に準備された凶器

左腰には日本刀と二口の匕首をしっかりと括り付け、左肩から右脇には弾薬の入った雑嚢を掛けていました。そして、屋外に置いてあった、入念に研ぎ澄まされた斧を手に取り、家の中へと戻ります。まるで儀式のように、睦雄は犯行の準備を整えていきました。

眠る祖母への凶行

睦雄の家は平屋建てで、北側に土間がありました。彼は普段から天井裏と土間を行き来していたため、深夜の行動も周囲には不審に思われていませんでした。土間を上がると六つの部屋があり、いねは縁側に面した中央の六畳間で、コタツに横たわり西向きに眠っていました。睦雄は、手にした斧を握りしめ、眠るいねを静かに見下ろします。

なぜ斧が選ばれたのか?

なぜ睦雄は、日本刀や猟銃ではなく斧を選んだのでしょうか?石川清氏をはじめとする津山事件研究家たちは、音を立てずに殺害するため、そして日本刀の切れ味が血糊で鈍るのを防ぐためだと推測しています。しかし、それ以外にも、睦雄が斧を選ばざるを得なかった、より深い理由があったのかもしれません。料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「当時の農村部では、斧は身近な道具であり、睦雄にとって心理的な抵抗が少なかった可能性がある」と指摘しています。

闇に響く斧の音

そして、睦雄は静かに斧を振り下ろしました。静寂を破る鈍い音。それは、30人の命を奪う凄惨な事件の幕開けでした。この後、睦雄は集落を徘徊し、無差別に人々を襲撃していくのです。

事件の真相、そして現代社会への警鐘

津山事件は、単なる猟奇殺人事件として片付けることはできません。睦雄の生い立ち、当時の社会状況、そして人間関係の複雑な絡み合い。様々な要因が重なり合って起きた悲劇です。この事件を深く掘り下げることで、現代社会における闇や問題点が見えてくるのではないでしょうか。