平成5年の入隊以来、25年以上にわたって「弾薬」を専門に扱う。不発弾の処理は900回を超え、全国でもトップクラスだ。
高校卒業後、友人に誘われて自衛隊に入った。入隊後、不発弾処理の仕事を知った。
「身をていして国民を守れる。挑戦してみたい」
弾薬のスペシャリストを目指して、保管方法や構造など勉強を続けた。平成11年、念願の不発弾処理隊(那覇市)に配属された。
この信管はどう作動するか。空気に触れて燃える薬剤は入っていないか。運べるのか、現場で爆破するのか-。さまざまな状況を、不発弾の外観から見抜く。先輩から、実地で学んだ。
先の大戦の遺骨収集事業にも携わった。遺骨のそばには、必ず不発弾がある。特に手榴弾(しゅりゅうだん)が多い。米軍の火炎放射を受けたのだろう。壕の内側が、黒くすすけている現場もあった。
「国を守って命を落とした。胸が締め付けられるような苦しさを感じた」
だが、雑念は仲間を危険にさらす。一度だけ手を合わせ、思いを振り切るように作業に集中する。
平成23年、現在の部署に異動した。部下には10代から、幹部を目指す40代までいる。弾薬の整備・検査など幅広く指導するが、不発弾処理について聞かれると、必ずこう答える。
「あこがれだけでは無理だ。分からないことは自分で調べ、常に勉強しなさい。『弾薬は危険だ』と思っているうちは安全だから」(大森貴弘、写真も)=随時掲載