【国民の自衛官~横顔】(8)陸自九州補給処富野弾薬支処・梅木崇准陸尉(44) 弾薬は「危険と思えば安全」


不発弾処理のスペシャリストとして部下の指導にあたる梅木崇准陸尉

 平成5年の入隊以来、25年以上にわたって「弾薬」を専門に扱う。不発弾の処理は900回を超え、全国でもトップクラスだ。

 高校卒業後、友人に誘われて自衛隊に入った。入隊後、不発弾処理の仕事を知った。

 「身をていして国民を守れる。挑戦してみたい」

 弾薬のスペシャリストを目指して、保管方法や構造など勉強を続けた。平成11年、念願の不発弾処理隊(那覇市)に配属された。

 この信管はどう作動するか。空気に触れて燃える薬剤は入っていないか。運べるのか、現場で爆破するのか-。さまざまな状況を、不発弾の外観から見抜く。先輩から、実地で学んだ。

 先の大戦の遺骨収集事業にも携わった。遺骨のそばには、必ず不発弾がある。特に手榴弾(しゅりゅうだん)が多い。米軍の火炎放射を受けたのだろう。壕の内側が、黒くすすけている現場もあった。

 「国を守って命を落とした。胸が締め付けられるような苦しさを感じた」

 だが、雑念は仲間を危険にさらす。一度だけ手を合わせ、思いを振り切るように作業に集中する。

 平成23年、現在の部署に異動した。部下には10代から、幹部を目指す40代までいる。弾薬の整備・検査など幅広く指導するが、不発弾処理について聞かれると、必ずこう答える。

 「あこがれだけでは無理だ。分からないことは自分で調べ、常に勉強しなさい。『弾薬は危険だ』と思っているうちは安全だから」(大森貴弘、写真も)=随時掲載



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