現代社会において「当たり前」とされている常識。しかし、その当たり前は本当に正しいのでしょうか?法律という観点から、私たちの価値観を揺さぶる問いを、法哲学者・住吉雅美氏の著書『あぶない法哲学』(講談社現代新書)を参考にしながら探求していきます。自由な生き方と法の狭間で、何を考え、どう行動すべきか、一緒に考えてみましょう。
ヒッチハイクは軽犯罪?「こじき」の定義とは
ヒッチハイクをしている人のイメージ
夏休みを利用して、日本全国をヒッチハイクで旅する大学生。一見、青春の冒険物語のようですが、実は「軽犯罪法」に触れる可能性があるという指摘があります。軽犯罪法とは、国民の生活の仕方をある程度規定する法律です。34個の禁止事項が列挙されており、違反すると拘留や科料(軽い罰金)の対象となります。
ヒッチハイクは、軽犯罪法第22条「こじきをし、又はこじきをさせた者」に該当する可能性が指摘されています。もちろん、ヒッチハイク中にアルバイトをするなど、自活の手段を講じている場合は、こじきに該当するかは議論の余地があります。
しかし、ここで重要なのは「こじき」という生活スタイル自体が、法律で問題視されている点です。他人の財物を盗む、奪うといった行為は犯罪ですが、他人の善意に頼って生活すること自体がなぜ同様に扱われるのでしょうか?
「住所不定・無職」は犯罪者予備軍なのか?
住所不定のイメージ
大乗仏教の祖の一人、ヴァスバンドゥは、他人に施しを受けながら思索を深め、偉大な思想を築き上げました。このように、他者に頼る生き方にも価値があるはずです。
しかし、日本では軽犯罪法第四条で「生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」を処罰対象としています。つまり、定職にも住居にも縛られず、自由に生きることを選んだ人々は、法律によって罰せられる可能性があるのです。
事件報道では、容疑者の「住所不定・無職」という属性がよく強調されます。まるで「住所不定・無職」=犯罪者予備軍であるかのような印象を与えますが、これはまさに法律がそのような見方を助長していると言えるでしょう。
定職に就き、定住生活を送らなければ、人として問題があるとされ、罰せられる。これは、ある特定の生き方を強制するものではないでしょうか?「住所不定・無職」であることが、必ずしも他人に危害を加えることに繋がるのでしょうか?風のように自由に生きる、心優しいフリーターの生き方に、何か問題はあるのでしょうか?
法律による生き方の強制、その問題点
法哲学者のイメージ
法哲学者の佐藤健一氏(仮名)は、「法律は社会秩序を維持するために必要ですが、個人の自由を過度に制限するべきではない」と指摘します。(※架空の人物による見解です。)法律によって特定の生き方を強制することは、多様な価値観を認めず、個人の可能性を狭めることに繋がります。
私たちは、法律によって作られた「当たり前」を無批判に受け入れるのではなく、常に問い直し、より良い社会を築くためにどうすれば良いのかを考え続ける必要があります。
まとめ
「当たり前」とされていることの裏側には、様々な問題が潜んでいる可能性があります。法律と個人の自由のバランス、多様な生き方の尊重など、私たちが向き合うべき課題は多くあります。この記事をきっかけに、自身の価値観を見つめ直し、より良い社会の実現に向けて共に考えていきましょう。