横田めぐみさん。1977年、中学1年生の彼女は忽然と姿を消し、その後、北朝鮮による拉致被害者であることが明らかになりました。2024年10月には60歳の誕生日を迎えましたが、未だ祖国の土を踏むことは叶っていません。拉致問題の解決は日本の喫緊の課題であり、政府は「必ず取り戻す」と誓約しています。しかし、めぐみさんをはじめとする多くの被害者の帰国は実現していません。
本記事では、横田めぐみさんの母・早紀江さんの著書『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社文庫)を参考に、一本の電話から拉致の真相が明らかになるまでの軌跡を辿り、改めて拉致問題の現状について考えます。
突然の電話:北朝鮮で生きている?
1997年1月21日、横田滋さんのもとに一本の電話がかかってきました。それは、日本銀行のOB会からの電話で、参議院議員の橋本敦氏(共産党)の秘書、兵本達吉氏に連絡してほしいという内容でした。滋さんは何事かと兵本氏に電話をかけると、思いもよらない言葉を耳にします。
「お嬢さんは北朝鮮で生きているという情報が入りました」
滋さんは驚きを隠せませんでした。めぐみさんが行方不明になってから20年、手がかりらしい手がかりもなく、諦めかけていた矢先の出来事でした。兵本氏は北朝鮮による拉致事件を長年調査しており、滋さんに失踪当時の状況を詳しく聞きたいと伝えました。電話では詳細を話せないため、議員会館へ来るように促され、滋さんはすぐに議員会館へと向かいました。
横田めぐみさんの写真
議員会館での出会い:拉致の可能性が浮上
議員会館へ向かう電車の中、滋さんの心は揺れ動いていました。初めて得られた情報に一縷の望みを抱く一方で、本当に北朝鮮にいるのか、そしてもし本当ならどうやって連れ戻せるのか、不安と期待が入り混じっていました。
議員会館で兵本氏と会い、めぐみさんの失踪当時の状況を詳しく説明しました。兵本氏は熱心に聞き入り、拉致の可能性を示唆しました。滋さんは、拉致問題の深刻さを改めて認識し、めぐみさんを取り戻すために行動を起こす決意を固めました。
この出来事をきっかけに、拉致問題の真相究明が大きく進展することになります。家族の諦めない思いと、支援者たちの努力が、やがて大きなうねりとなって政府を動かし、北朝鮮に拉致を認めさせることになるのです。
拉致問題の現状:未だ帰国を果たせない被害者たち
2002年、北朝鮮は拉致を認め謝罪しましたが、いまだ多くの被害者が帰国を果たせていません。横田めぐみさんもその一人です。拉致問題は人権侵害というだけでなく、家族にとって計り知れない苦しみを与え続けています。
日本の拉致問題対策本部によると、北朝鮮による拉致被害者として認定されているのは17名ですが、未だ安否不明の被害者が12名います。また、拉致の可能性を排除できない行方不明者も多数存在しています。
拉致問題の啓発ポスター
拉致問題の解決は、日本国民全体で取り組むべき重要な課題です。風化させず、一人でも多くの被害者が一日も早く家族のもとへ帰れるよう、引き続き関心を持ち続けましょう。