2024年元日、未曾有の大地震が能登半島を襲い、多くの尊い命が奪われました。その中で、最愛の妻と娘を亡くした男性が、深い悲しみを乗り越え、新たな一歩を踏み出しています。今回は、輪島で営んでいた居酒屋を津波で失い、川崎で再起を図る楠健二さんの物語をご紹介します。
妻と娘の愛と共に:川崎に蘇る「わじまんま」
輪島産の食材を使った料理を提供する楠さん。カウンターには常連客の姿も。
震災から5ヶ月後の2024年6月、楠さんは川崎市川崎区に居酒屋「わじまんま」をオープンしました。輪島で妻の由香利さんと共に築き上げた店と同じ名前です。 能登の新鮮な海の幸、冬には輪島産の香箱ガニやフグなど、地元の食材を使った料理を提供しています。箸袋やおしぼりも能登の業者から仕入れ、復興支援への思いを形にしています。
カウンター席は7席ほど。石川県出身の常連客で賑わう日も多いそうです。楠さんは、がれきの中から奇跡的に見つかった「わじまんま」のロゴ入りTシャツを着て、厨房に立ちます。震災で失ったのれんは、妻のお気に入りだった大漁旗のデザインを元に新調しました。輪島の店で時を刻んでいた掛け時計も、地震発生時刻の午後4時10分過ぎを指したまま、川崎の店で見守っています。
「妻と娘のいない場所で、平常心でいられると思ったが、2人の思い出が常に傍にある。2人のことを思わない日はない」と楠さんは静かに語ります。
忘れることのできないあの日:救えなかった命への悔恨
津波で倒壊した楠さんの自宅兼店舗。隣接するビルが押しつぶした。
2024年1月1日、輪島市中心部にあった楠さんの自宅兼店舗は、隣接する7階建てビルの倒壊により押しつぶされました。当時、帰省していた長女の珠蘭さんを含め、家族4人で新年を祝っていました。楠さんと次男、次女は無事でしたが、妻の由香利さんと珠蘭さんはがれきの下に閉じ込められました。
火災発生のため、消防車は現場を通り過ぎて行きました。自衛隊にも助けを求めましたが、二次災害の危険性を理由に救助は難航しました。がれきに足を挟まれた珠蘭さんは「水が飲みたい」と声を絞り出しました。楠さんは水を届け、夜通し2人の名前を呼び続けました。
「消防隊が到着した時、娘はまだ生きていた。娘の足を切断すれば助かったかもしれない。でも、娘の足を切ることなんてできなかった…」と楠さんは当時を振り返り、無念さを滲ませます。珠蘭さんは1月2日夜、由香利さんは翌3日に救助されましたが、既に息絶えていました。
「2人は天国にいるが、自分は地獄に行くから会えない。2人を助けてあげられなかった」と、楠さんは今も罪悪感に苛まれています。
新たな場所で、未来へ:残された家族への想い
成人式を迎えるはずだった珠蘭さん。生前の笑顔が思い出を彩る。
深い悲しみを背負いながらも、楠さんは残された家族のために前を向いています。「わじまんま」は、楠さんにとって単なる店ではなく、亡き妻と娘への想いを繋ぐ場所です。料理を通して、能登の魅力を伝え、被災地の復興を願い、未来へと歩みを進めています。
震災の記憶は決して消えることはありません。しかし、楠さんの力強い生き方は、多くの人々に勇気を与え、希望の光を灯しています。