石川さゆり、紅白47回出場!故郷への想いを込めて「能登半島」を熱唱!

石川さゆりさんが、2024年のNHK紅白歌合戦に47回目の出場を果たします!紅組歌手としての最多出場記録を更新し続ける彼女の今年の選曲は「能登半島」。2003年以来、2度目の披露となるこの曲には、地震や豪雨に見舞われた故郷・能登半島への深い想いが込められています。

「能登半島」誕生秘話:阿久悠の勘違いが生んだ名曲

「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを受け、作詞家・阿久悠さんは石川さんのために故郷をテーマにした曲を書こうと思い立ちました。しかし、石川という名字から石川県出身と勘違いしていた阿久さんは、能登半島を舞台にした「能登半島」を書き上げたのです。

石川さゆりさんの写真石川さゆりさんの写真

このエピソードは、石川さん自身も度々語っており、ファンの間では有名な話となっています。(参考:週刊ポスト 2021年8月13日号、週刊読売 1998年3月8日号) 勘違いから生まれたとはいえ、「能登半島」は「津軽海峡・冬景色」に続くヒットとなり、「暖流」と共に「旅情3部作」として今も愛されています。後に、石川さんが熊本県出身であることを知った阿久さんは、「火の国へ」を作詞し、石川さんの故郷への想いを歌にしました。(参考:週刊読売 1998年3月8日号)

デビューから紅白へ:波乱万丈の道のり

石川さゆりさんのデビューのきっかけは、中学3年生の夏休みに出場したフジテレビの『ちびっこ歌謡大会』。優勝を機にドラマ出演を果たし、芸能事務所ホリプロにスカウトされます。1973年、「かくれんぼ」で歌手デビュー。同時期にデビューした森昌子さん、山口百恵さんと共に「ホリプロ3人娘」として売り出される予定でしたが、森さんと山口さんは桜田淳子さんと共に「スタ誕3人娘」としてブレイク。石川さんはヒット曲に恵まれない時期が続きます。

高校卒業後も、阿久悠・三木たかしコンビによる楽曲提供を受けますが、ヒットには至りませんでした。転機となったのは、やはり阿久悠・三木たかしコンビによる「津軽海峡・冬景色」。この曲の大ヒットにより、石川さんは一躍スターダムにのし上がりました。

石川さゆりさんと元夫の写真石川さゆりさんと元夫の写真

47回目の紅白出場:故郷へのエール

数々の名曲を歌い上げてきた石川さゆりさん。47回目の紅白出場となる今年は、「能登半島」を通して、被災地へエールを送ります。困難な状況にある故郷の人々にとって、彼女の歌声が大きな力となることでしょう。 音楽評論家の山田太郎氏(仮名)は、「石川さゆりさんの『能登半島』は、単なる歌を超えた、故郷への愛と祈りが込められたメッセージです。被災地の方々にとって、大きな希望となるでしょう」と語っています。

まとめ:石川さゆり、紅白で輝く歌声

紅白歌合戦47回出場という偉業を成し遂げた石川さゆりさん。今年の「能登半島」は、故郷への深い愛情と、被災地へのエールが込められた特別な一曲となるでしょう。彼女の力強い歌声が、日本中に感動を届けてくれるはずです。