2018年3月、滋賀県守山市野洲川の河川敷で、凄惨なバラバラ死体が見つかりました。腐敗が激しく、当初は人間のものかどうかも判別できないほどでした。後の捜査で、被害者は近所に住む58歳の女性であることが判明。彼女は20年以上前に夫と別居し、31歳の娘と二人暮らし。娘は進学校出身で、医学部合格を目指し9年間もの浪人生活を送っていました。そして6月、警察は死体遺棄容疑で娘を逮捕。この母娘の間には、一体何が起こっていたのでしょうか。
獄中の娘との膨大な量の往復書簡を元に綴られたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』は、大きな反響を呼びました。そして今回、漫画化されたことで再び注目を集めています。本稿では、その衝撃的な事件の背景に迫ります。
繰り返されるマッサージと殺意の芽生え
娘のあかりは、毎晩母親の妙子にマッサージを強要されていました。就寝前、リビングルームに敷かれた布団の上で、足裏からふくらはぎ、腰、背中と全身を入念に、30分から1時間かけてマッサージさせられ、最後に首を揉むように指示されていました。妙子は、首のマッサージが始まる頃にはたいてい気持ちよさそうに寝息を立てていました。
あかりは以前から、この瞬間が母親を殺害する最大のチャンスだと考えていました。寝入りばなであれば妙子は無防備で、包丁を使っても気づかれないだろうと。しかし、実行に移すことは容易ではありませんでした。何度もチャンスはあったものの、いざとなると決心がつかず、ただ母の寝顔を眺めることしかできなかったのです。寝息を立てている母に顔を近づけ、本当に寝ているかを確認したことも一度や二度ではありませんでした。しかし、結局はその度に手を離していました。
alt=リビングルームの間取り図。寝室、トイレ、浴室、キッチン、リビングルームが示されている。妙子とあかりはリビングルームで寝ていた。
抑圧された感情の爆発と犯行
そして、「その時」は突然訪れました。1月18日、助産師学校の試験に落ちたあかりは、妙子から激しい叱責を受けました。その翌日19日の深夜、妙子はいつものようにあかりにマッサージを要求。リビングに敷いた布団に横になり、全身のマッサージから首のマッサージへと移った頃、妙子は予想通り寝息を立て始めました。時刻はすでに20日の午前2時を回っていました。
妙子はうつ伏せに近い状態で右胸を下にしており、完全に無防備に見えました。あかりは静かに妙子の体から離れると、隣室の押し入れに隠していた包丁を取り出しました。包丁には、持ちやすいように孫の手が縛り付けてありました。そして、左側から肩と平行になるような角度で、妙子の頸部に渾身の力を込めて突き刺しました。
「痛い!」
妙子は首から血を流しながら左手を上げ、あかりの方を向こうとしました。一撃では足りない、もっと刺さなければ。この瞬間、あかりの心は恐怖で支配されていました。彼女は妙子の首筋を二度、三度と同じように左側から切りつけました。包丁の刃が硬い部分に当たり、そこで引き抜きました。首の骨にまで刃が届いたようでした。
alt=事件現場となった滋賀県守山市の野洲川の河川敷の写真。穏やかな風景が広がっているが、ここで凄惨な事件が起きたことを物語っている。
この事件は、過度なプレッシャーと支配による悲劇と言えるでしょう。医学部合格への執着、長年の浪人生活、そして母親からの精神的虐待。これらの要因が複雑に絡み合い、あかりを追い詰めていったと考えられます。専門家の間では、教育虐待や毒親問題への関心が高まっており、今回の事件もその一例として注目されています。「子どもへの過剰な期待」や「支配的な親子関係」が、時に取り返しのつかない結果を招くことを改めて示唆しています。