戦艦大和、日本の誇りとして建造された世界最大の戦艦。その壮大な姿とは裏腹に、悲劇的な最期を迎えることとなったその艦内で、一体何が起こっていたのでしょうか?この記事では、吉田満氏の著書『戦艦大和ノ最期』を元に、沈みゆく大和の最後の航海、そして乗組員たちの壮絶な運命に迫ります。
大和の乗組員、吉田満とは?
吉田満氏は、東京帝国大学法学部在学中に学徒出陣で海軍へ召集され、1944年に繰り上げ卒業後、少尉として大和に乗り込みました。彼の役割は副電測士。大和沈没後、作家・吉川英治氏の勧めを受けて書き上げたのが『戦艦大和ノ最期』です。本書は、大和の最期の航海を克明に記録した貴重な資料であり、戦争の悲惨さを後世に伝える重要な役割を担っています。
出撃、そして悪夢の始まり
1945年4月6日午後、大和は出撃。その翌日の12時30分頃、100機以上の敵機の襲撃を受けます。想像を絶する数の敵機、降り注ぐ爆弾、飛び交う弾丸。吉田氏が目撃した壮絶な戦闘の様子を、本書から引用してみましょう。
一二三二(十二時三十二分)、二番見張員ノ蛮声「グラマン二機、左二十五度(方向角、正面ヨリ左ヘ二十五度)高度八度、四〇(距離四千米)右ニ進ム」
忽チ肉眼ニ捕捉 雲高ハ千乃至千五百米 機影発見スルモ至近ニ過ギ、照準至難、最悪ノ形勢ナリ
「今ノ目標ハ五機……十機以上……三十機以上……」
alt=大和の公試航行の様子(1941年)
凄まじい戦闘の描写
吉田氏の言葉からは、凄まじい戦闘の最中における緊迫感が伝わってきます。敵機の大編隊、轟音、硝煙、そして仲間の死。まさに地獄絵図のような光景が広がっていたことでしょう。
身近ノ兵、弾片ニ倒ル 圧倒スル騒音ノウチニソノ頭骨壁ヲ叩クヲ聞キ分ケ、瀰漫スル硝煙ノウチニ血ノ匂イヲ探ル
護衛艦「浜風」の轟沈も目の当たりにします。わずか数十秒の出来事。
編隊ノ左外輪「浜風」忽チニ赤腹ヲ出ス、ト見ルヤ艦尾ヲ上ニ逆立ツ 轟沈マデ数十秒ヲ出デズ タダ一面ノ白泡ヲ残スノミ
艦橋での死闘
艦橋では、艦長以下、必死の回避行動が続けられました。
艦長ハ艦ノ全貌ヲ見渡ス吹キ曝シノ防空指揮所ニアリ 少尉二名コレニ侍シテ回避盤ヲ睨ミ、鞭ヲ揮ッテ四周ノ魚雷ヲ艦長ニ伝ウ
しかし、ついに魚雷が命中。
アワヤ寸前ニ魚雷ヲカワスコト数本、遂ニ左舷前部ニ一本ヲ許ス
戦争の悲惨さを伝える証言
『戦艦大和ノ最期』は、単なる戦闘記録ではありません。極限状態における人間の心理、仲間との絆、そして戦争の悲惨さを伝える貴重な証言です。 当時の緊迫した状況、そして兵士たちの心情が、生々しく読者の心に迫ります。料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「この本を読むと、平和の尊さを改めて実感させられます。当時の兵士たちがどのような思いで戦っていたのか、想像を絶する過酷な状況を理解することは、私たちにとって非常に大切なことだと思います。」と語っています。
大和の最期、そして未来への教訓
大和の沈没は、太平洋戦争の終焉を象徴する出来事の一つと言えるでしょう。この悲劇から私たちは多くのことを学ぶ必要があります。平和の尊さ、命の大切さ、そして戦争の愚かさ。吉田氏の残した言葉は、未来への警告として、私たちに語りかけているのではないでしょうか。