西田敏行さん、その圧倒的な存在感と演技力の秘密

西田敏行さん。2024年に惜しまれつつこの世を去った、日本を代表する名優です。その圧倒的な存在感、観る者を惹きつけてやまない演技力はどのように培われたのでしょうか。46年間、公私共に親交の深かった武田鉄矢さんが、西田敏行さんの魅力を語ります。

武田鉄矢さんが語る、西田敏行との出会い

私が西田さんの演技に初めて衝撃を受けたのは、1976年放送のドラマ「いごこち満点」でした。司法試験を目指す大学生役の西田さんが、森繁久彌さん演じるペテン師から記憶力増強ドロップを売りつけられるシーン。ドロップを舐めた瞬間、西田さんは突如としてドイツ語らしき言葉で高らかに歌い出すのです。それがアドリブだとすぐに分かりました。森繁さんが呆然とされていたからです。しかし、さすがの森繁さん。「キミ、面白いね」と西田さんをうまくいなだめ、事なきを得ました。大御所を前にしても臆することのない西田さんの度胸と演技力に、私は圧倒されました。

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そして、実際に西田さんにお会いしたのは、その2年後、1978年のバラエティー番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」でのことでした。 故郷のローカルニュースを読むアナウンサーという設定のコントで共演しました。西田さんは福島、私は福岡出身という設定以外は全てアドリブ。カットがかかるまで即興で掛け合いを続けましたが、西田さんは私のどんな言葉にも機転を利かせて返してくる。その才能に感服し、意気投合しました。

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「生まれる前は兄弟だったんじゃないか」と思えるほどの共感

西田さんは著書『役者人生、泣き笑い』の中で、私との初対面の印象を「生まれる前は兄弟だったんじゃないかと思えるほど気持ちが通じ合う」と綴っています。まさにその通りで、私たちは「鉄やん」「西やん」と呼び合う仲になりました。当時、西田さんは「いごこち満点」や「特捜最前線」で頭角を現し、私も前年の映画「幸福の黄色いハンカチ」で役者として認知され始めていました。互いに認め合い、刺激し合う、かけがえのない存在でした。

西田敏行、その演技の真髄とは

西田さんの演技は、常に自然体で、観る者に寄り添う温かさがありました。どんな役柄でも、その人物の人生を深く理解し、魂を込めて演じていたように思います。 著名な料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「西田さんの演技は、まるで家庭料理のように、滋味深く、心に染み渡るものがある」と評しています。計算された技巧ではなく、人間の根源的な感情を表現する、それが西田敏行という役者の真髄だったのではないでしょうか。

西田敏行さんの功績を偲んで

西田敏行さんは、日本の映画・テレビドラマ界に大きな足跡を残しました。その作品は、これからも多くの人々に愛され続け、語り継がれていくことでしょう。私たちはその功績を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。