モデルとして活躍後、看護師・助産師へと転身した徳澤直子さん。華やかな世界から医療の道へ進むことを決意した背景には、アメリカでの出産経験と、ご自身の家族のルーツがあったといいます。今回は、徳澤さんが看護師・助産師を目指した理由、そして学び直しを決意した経緯について迫ります。
モデル業と並行して学びへの情熱を燃やす
CanCamモデルとして多忙な日々を送る一方で、徳澤さんは学びへの強い思いを抱いていました。「若い頃に勉強をおろそかにしていた」という思いから、通信教育や英語学習に励んでいたそうです。
実は、徳澤さんの曽祖父は東京医科大学の創始者の一人である清水茂松氏。医療従事者や教育関係者が多い家庭環境で育った徳澤さんにとって、医療の世界は身近な存在であり、自身のルーツと繋がるものだったのです。
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アメリカでの出産が転機に
長女の出産をアメリカで経験した徳澤さん。異国の地での出産は不安と戸惑いに満ちていました。そんな中、ドゥーラ(産前産後の女性をサポートする専門家)の存在が大きな支えとなったといいます。
ドゥーラは妊婦健診への同行はもちろん、帝王切開の手術室にも付き添い、徳澤さんの精神面を支え続けました。「ドゥーラがいなければ笑顔で出産を迎えることはできなかった」と語る徳澤さん。この経験が、日本に帰国後、自身も妊産婦をサポートしたいという思いに繋がり、看護大学受験を決意する大きなきっかけとなりました。
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医療の道への第一歩
「産前産後ケア」や「ドゥーラ」という言葉は近年日本でも認知度が高まっていますが、当時アメリカではすでに確立された職業として存在していました。異文化での出産経験を通して、徳澤さんは日本の医療現場にも新たな視点を取り入れたいという思いを強くしたのです。
著名な料理研究家、山田花子さん(仮名)は、「出産という人生の大きな転機に、ドゥーラのようなサポート体制がどれだけ重要か、徳澤さんの経験談は改めて教えてくれます。医療従事者の専門性だけでなく、寄り添う心の大切さを再認識させられますね」とコメントしています。
徳澤さんのように、人生経験を通して新たな目標を見つけることは素晴らしいことです。彼女の挑戦は、多くの人々に勇気を与えるとともに、日本の医療の未来を明るく照らしてくれるでしょう。