20年前の1月18日、福岡市内の公園で客室乗務員(CA)になる夢を抱いていた福島啓子さん(当時23歳)が、凶刃に倒れました。面識のない男に命を奪われたこの事件は、「福岡3女性連続殺害事件」の最後の事件として、今もなお人々の記憶に深く刻まれています。今回は、啓子さんの父親である敏広さん(68歳、北九州市在住)にインタビューを行い、20年という歳月を経てなお癒えることのない悲しみ、そして苦悩の日々から前を向いて生きるようになった心境の変化についてお話を伺いました。
夢に向かって努力を重ねていた娘
福島啓子さんの写真
啓子さんは航空関連会社に勤務しながら、CAになるという夢の実現に向けて努力を重ねていました。事件当日も、出勤途中に英会話のCDを聞き、勉強に励んでいたといいます。CAになる夢、そして未来への希望に満ち溢れていた矢先の出来事でした。
想像を絶する悲劇と向き合う日々
事件後、警察署で敏広さんが見せられた啓子さんの写真は、変わりすぎて娘だと認識できないほどでした。顔は腫れ上がり、あざだらけ。その姿を見た敏広さんは、悲しみのあまりわめき散らし、娘の名を何度も呼び続けました。
その後、敏広さんは捜査本部に通い詰め、捜査の進展を待ち続けました。眠れない日々、食事ものどを通らない日々。想像を絶する苦しみの中で、ただ娘のために犯人逮捕を願うことしかできませんでした。
犯人逮捕と死刑判決
福島敏広さんが娘の祭壇の前で取材に応じる様子
そして2005年3月8日未明、ついに犯人逮捕の連絡が入ります。全身が震え、涙が止まらなかったといいます。逮捕されたのは鈴木泰徳元死刑囚。裁判では、敏広さんは毎回傍聴席に座り、元死刑囚の言動を注視しました。しかし、謝罪の言葉も反省の色も見せず、不遜な態度をとる元死刑囚の姿に、敏広さんの怒りと無念は募るばかりでした。
最終的に死刑判決が下された時、敏広さんは「報われた」と感じたと言います。しかし、娘が帰って来ることはありません。
事件から20年、そして未来へ
20年という歳月は、敏広さんの心に深い傷跡を残しました。しかし、悲しみに暮れるだけでなく、前を向いて生きていこうとする力も与えてくれました。北九州市で中学生が殺傷された事件の際には、いてもたってもいられず現場付近を歩き回ったといいます。同じような思いをさせたくない、という強い思いがあったのでしょう。
啓子さんの事件は、私たちに犯罪の残忍さと、被害者遺族の苦しみの深さを改めて突きつけます。そして、安全な社会を築くことの重要性を訴えかけています。敏広さんのような被害者遺族の心の傷が少しでも癒え、安心して暮らせる社会の実現を願うばかりです。