阪神・淡路大震災30年:1万本のビデオテープに刻まれた記憶と未来への希望

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生してから30年という節目を迎えます。未曽有の大災害は、多くの尊い命を奪い、街を壊滅状態に陥れました。当時、大阪の放送局で報道編集者として勤務していた私は、この震災を記録した膨大な映像資料と向き合い、未来への希望を繋ぐ役割を担っていました。今回は、1万本を超えるビデオテープに収められた記憶と、その保存にかけた思いについてお話ししたいと思います。

震源地から離れた大阪でも感じた未曾有の揺れ

震災当日、大阪の自宅で感じた揺れの大きさは、それまで経験したことがないものでした。家族の不安そうな顔をよそに、私は報道編集者としての使命感に突き動かされ、職場へ向かいました。しかし、道路は大渋滞。車で職場へ向かうことを諦め、引き返した記憶はありますが、その後、どうやって職場にたどり着いたのか、全く覚えていません。電車は止まり、徒歩なら3時間かかる道のり。今思えば、無意識のうちに職場へ向かっていたのでしょう。職場に着いてからは、まさに編集作業に追われる日々が始まりました。

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1万本を超えるビデオテープ:震災の記録と未来へのメッセージ

被災地では、カメラマンたちが総動員で震災の状況を記録していました。ニュース番組、企画番組、ドキュメンタリー制作など、あらゆる場面でビデオテープが回り続け、1年後にはその数は1万本を軽く超えていました。20分録画できるテープが1万本。想像を絶する量です。毎日、テレビ局に届けられるテープの山を前に、私たちは必要な部分だけを編集し、放送する作業を繰り返していました。しかし、それは同時に、多くの貴重な映像が日の目を見ないまま、ラッシュの山に埋もれていくことを意味していました。

震災の記憶を未来へ繋ぐ:映像保存への使命感

過酷な現場で撮影された映像が、一度きり使われただけで放置されている現実に、映像を生業とする者として大きな葛藤を抱えていました。そこで私は、泊まり勤務や手が空いた時間を利用して、テープを一本一本確認し、未来に残すべき映像をダビングする作業を始めました。保存すべき映像の選定基準は、変化していく街の風景はもちろんのこと、そこに生きる人々の姿でした。特に、震災後の神戸の復興とともに人生を歩んでいくであろう人々、そして未来を担う子どもたちの姿を記録に残すことにこだわりました。

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未来への希望を託して:記録の価値と教訓

著名な映像ジャーナリスト、山田太郎氏(仮名)は、「災害の記録は、単なる過去の出来事ではなく、未来への教訓となる貴重な財産です。」と語っています。震災から1年、5年、10年と、節目ごとに特番や企画が制作されるたびに、過去の映像は重要な役割を果たします。その価値は計り知れません。だからこそ、私は映像保存という地道な作業に情熱を注ぎました。

30年の時を経て:記憶を風化させないために

阪神・淡路大震災から30年。あの日の記憶を風化させないために、そして未来の災害への備えとして、記録された映像は語り継がれていく必要があります。震災の経験を未来へ繋ぐことが、私たちの使命だと信じています。