「多くの方にお世話になって政治生活を続けることができた」。政界引退から2年、やや遠慮がちに受章の喜びを語った。
昭和58年、元文相の父、専一氏死去に伴う衆院補欠選挙で初当選。自民党屈指の財政通として知られ、財務相や法相などを歴任した。しかし、党幹事長だった平成28年7月、自転車事故で大けがを負い、引退を決めた。
印象に残るのは、自民党が野党時代に総裁としてまとめた「社会保障と税の一体改革」に関する民主、公明両党との3党合意だ。先月、消費税率が10%に引き上げられ、「紆余(うよ)曲折あったが、なんとか形になった」と感慨深げに話す。
12年の「加藤の乱」では野党提出の内閣不信任決議案に同調しようとした加藤紘一元幹事長を涙ながらに制止した。総裁として下野後の自民党を支えたが、24年総裁選は出馬辞退に追い込まれた。安倍晋三政権が長期政権になっていることを歓迎しつつ、「どなたがやっても飽きも問題も生じてくる。乗り越える工夫をしなくてはいけない」と話す。
最近は車いすで公の場に出ることも増えたが、リハビリが欠かせない。「自分でできることは自分でやりたいが、どの辺を目標にしたらいいか、間合いの取り方に悩んでいる」と複雑な胸の内を明かす。
だからこそ思いを強くしているのは“弱者”への支援だ。現在2020年東京パラリンピックの東京都の懇談会や罪を犯した人の更生に取り組む全国保護司連盟などに携わっており、「障害者になってみないとわからないことはある。地位を良くしていくためできることはやりたい」と語る。
「(人間は)人との関わりの中でしか生きていけない。ハンディを負っている人たちを受け入れていけるかが、市民社会や地域社会の力量だ」。穏やかな口調の中に激動の政治家人生を乗り越えてきた信念が垣間見えた。
(田村龍彦)