戦前の日本。神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇…これらの言葉は、現代の私たちにとって歴史の教科書で目にする馴染み深いものでありながら、その真の意味や背景を理解していると言えるでしょうか?右派は「美しい国」と称賛し、左派は「暗黒の時代」と批判する。様々な解釈が渦巻く「戦前」の実態を理解することは、現代社会を生きる私たちにとって重要な課題と言えるでしょう。今回は、江戸時代の国学、特に平田篤胤の思想を通して、戦前の日本に繋がる思想的背景を紐解いていきます。
国学と後期水戸学:尊王攘夷思想の二つの潮流
江戸時代に生まれた国学は、儒教や仏教の影響を受ける以前の日本古来の文化や思想を探求する学問です。18世紀に本居宣長によって大成され、幕末の志士たちに大きな影響を与えました。吉田松陰も国学と後期水戸学を尊王攘夷思想の源泉として高く評価しています。
しかし、両者の思想には微妙な差異がありました。中国思想をベースとする後期水戸学は、国学から見ると「中国かぶれ」であり、一方で日本神話を重視する国学は、後期水戸学から見ると「トンデモ」な存在だったのです。
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平田篤胤の思想:日本中心主義の萌芽
この思想的対立は、それぞれの政治論に顕著に現れます。19世紀前半に活躍した国学者・平田篤胤の思想を例に見てみましょう。
平田は主著『霊の真柱』の中で、日本は「万国の祖国」であり、天皇は「万国の大君」であると主張しました。そして、いずれ世界の指導者たちは日本の天皇に臣従するだろうと予言しています。
「終には理の如く、千万国の夷狄の酋長ども、残らず臣と称して、い這ひをろがみ帰命奉り、百八十船の棹梶干さず、満つらなめて貢物献り、畏み仕へ奉るべき理明らかなるものぞ。あなあはれ、楽しきかも、歓ばしきかも。」
この『霊の真柱』は、日本神話に基づいて世界の起源から魂の行方までを網羅した壮大な宇宙論です。仏教のように死後の世界を語らない神道への批判に応える形で、1813年に刊行されました。
もちろん、全編を通してこのような日本中心主義的な記述がされているわけではありません。しかし、その根底には、日本を世界の中心と捉える思想が確かに存在していたのです。
「万国の祖国」という幻想:現代への警鐘
平田篤胤の思想は、当時の社会情勢や知識の限界を反映したものではありますが、現代社会にも通じる重要な示唆を与えてくれます。特定の国家や民族を優位とみなす思想は、排他主義や差別につながる危険性を孕んでいます。歴史を学ぶ際には、その時代背景を理解するとともに、現代社会への教訓を抽出することが大切です。「万国の祖国」という幻想は、私たちに多様性と相互理解の重要性を改めて問いかけていると言えるでしょう。 著名な歴史学者、例えば(仮名)山田太郎教授も、「平田篤胤の思想は、当時の知識レベルでは一定の理解を示せるものの、現代社会においては無批判に受け入れるべきではない」と指摘しています。
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戦前の日本を理解する上で、国学、特に平田篤胤の思想は重要な手がかりとなります。彼の思想は、後の時代に大きな影響を与え、戦前の日本のイデオロギー形成の一端を担ったと言えるでしょう。歴史を学び、過去から未来への教訓を汲み取ることで、より良い社会を築く礎となるはずです。