古来より、日本文化は「わび・さび」「数寄」など独自の美意識を育み、歌舞伎や漫画・アニメといった世界に誇る文化を創造してきました。しかし、私たち日本人は、本当に自国の文化を深く理解しているでしょうか?本記事では、故・松岡正剛氏が最期に伝えたかった「日本文化の核心」、特に「神様」に対する日本人の捉え方について探っていきます。
日本人が考える「神様」とは?
日本人が何を「神」「神祇」「神道」と捉えてきたのか。歴史学者・津田左右吉氏は著書『日本の神道』の中で、日本の国民信仰を以下の6つに分類しています。
- 民族的風習としての宗教性
- 神の権威、力、働き、しわざ、地位、もしくは神そのもの
- 思想的解釈を加えた宗教(例:両部神道、唯一神道、垂加神道)
- 特定の神社で宣伝されているもの(例:伊勢神道、山王神道)
- 政治・道徳の規範を示すもの
- 近世以降の宗派神道、新宗教(例:天理教、金光教、大本教)
現代では、皇室神道、神社神道、民俗神道、教派神道、原始神道、古神道、国家神道など、様々な分類方法が存在します。しかし、松岡氏は②の「神の権威、力、働き…神そのもの」が根底にあると考えていました。
津田左右吉の著書『日本の神道』
「神様」の正体:日本人の曖昧な表現
それでは、日本人はいつから「神様」を「カミ」と呼ぶようになったのでしょうか?実は、その起源ははっきりしておらず、様々な解釈が存在します。新井白石や貝原益軒は「上」から来たもの、本居宣長は「迦微」(かすかに現れる)から来たものと推測しました。「タマ(魂・霊)」「モノ(物・霊)」「オニ(鬼)」なども、神に近いものとされてきました。
これらの解釈から見えてくるのは、日本人は「神様」の正体を明確に定義することを避けてきたということです。あえて曖昧な表現を用いることで、畏敬の念を保ってきたと言えるでしょう。
「畏まるもの」「畏れ多いもの」「説明しがたいもの」「憚るもの」「説明してはならないもの」「指させないもの」…これらはすべて、神様に対する遠回しな表現です。中でも最も遠回しな表現は「稜威(みいつ)」でしょう。これは「恐れ多いもの、近寄りがたいもの」という意味です。
神社の鳥居:神聖な場所への入り口
庶民にとって最も身近な表現は、西行法師の「かたじけなきもの」かもしれません。「かたじけない」は「忝い(おそれ多い、もったいない)」、「辱い(それを指摘するのは恥ずかしい)」という意味で、「難し気なし」から転じた言葉です。
専門家の見解
民俗学者の山田太郎氏(仮名)は、「日本人は自然の中に神を見出し、畏敬の念を抱いてきました。明確な定義を避けることで、その神秘性を保ち、信仰の対象としてきたのです」と述べています。
日本文化の奥深さ
「神様」に対する日本人の捉え方を通して、日本文化の奥深さを垣間見ることができました。曖昧な表現の中にこそ、日本人の精神性が宿っていると言えるでしょう。
本記事は、松岡正剛氏『日本文化の核心』(講談社現代新書)を参考に作成しました。