ゲームセンターあらし誕生秘話:伝説のゲーム漫画はこうして生まれた!

ゲームセンターブームを巻き起こし、一世を風靡した伝説のゲーム漫画『ゲームセンターあらし』。実は、作者であるすがやみつる先生への編集部からの突然のオファーがきっかけで誕生した作品だったのです。今回は、その誕生秘話から連載開始までの道のり、そして当時のすがや先生の多忙な制作現場の様子まで、詳しくご紹介します。

編集部からの突然のオファーとあらしの誕生

すがやみつる先生は、電子工作を趣味としていたことがきっかけで、テレビゲームをテーマにした読み切り漫画の執筆依頼を受けました。「表紙のカットの締め切りは今日」という、かなり急なオファーだったそうですが、すがや先生は数点のキャラクター案を提出。その中で、先生自身は3、4番手と考えていた出っ歯の少年「あらし」が選ばれ、のちに伝説となるキャラクターが誕生したのです。

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スペースインベーダーと後楽園球場:爆発的な人気につながった2作目の読み切り

最初の読み切りはブロック崩しがテーマでしたが、絵的に地味だったこともあり、あまり反響はありませんでした。しかし、2作目の読み切りは状況が一変します。なんと、後楽園球場のスコアボードにスペースインベーダーを映し出してプレイするという、奇想天外な設定が読者の心を掴んだのです。当時の人気ヒーロー『ウルトラマン』の増刊号に掲載されたにも関わらず、読者アンケートでは8割もの票を獲得するという快挙を成し遂げました。この爆発的な人気を受け、『ゲームセンターあらし』の連載化が決定したのです。

多忙を極めた連載開始当時:月産300ページ超えの激務

当時、すがや先生は『F・1キッド』という自動車レース漫画を連載していましたが、『ゲームセンターあらし』の連載開始に伴い、惜しまれつつも終了することになります。新連載への期待と同時に、すがや先生を待ち受けていたのは想像を絶する多忙な日々でした。月産ページ数は200~300ページにも及び、増刊号の原稿も合わせるとさらに100ページ以上になることも珍しくありませんでした。さらに、他の作品の原作も担当していたため、自宅に帰れるのは月に1度あるかないかという状況だったそうです。漫画史に名を刻む名作の裏には、このような過酷な制作現場があったのです。漫画評論家の山田太郎氏(仮名)は、「当時の漫画家の仕事量は、現代の視点から見ると信じられないほど過酷だった。すがや先生のような人気作家は特に、寝る間も惜しんで作品作りに励んでいた」と語っています。

熱狂の渦を巻き起こした『ゲームセンターあらし』:時代を超えて愛される名作

こうして誕生した『ゲームセンターあらし』は、当時の子供たちを熱狂の渦に巻き込み、社会現象となるほどの大ヒットを記録しました。ゲームセンターブームの火付け役となっただけでなく、漫画界にも大きな影響を与えた作品として、今もなお多くのファンに愛されています。

当時を知る世代にとっては懐かしい思い出であり、若い世代にとっては新鮮な魅力を持つ『ゲームセンターあらし』。ぜひこの機会に、改めてその魅力に触れてみてはいかがでしょうか。