力道山。国民的英雄として、リング上で数々の伝説を築き上げたプロレス界の巨星。そして児玉誉士夫。「昭和最大の黒幕」と呼ばれ、政財界に大きな影響力を持ったフィクサー。一見接点のない二人だが、実は深い親交があった。今回は、大下英治氏の著書『児玉誉士夫 黒幕の昭和史』(宝島社)を参考に、知られざる力道山と児玉誉士夫の関係、そして力道山の韓国行きに隠された真実を紐解いていく。
力道山の韓国行きと不穏な影
1959年1月8日、力道山は日本航空のスチュワーデス田中敬子との婚約発表の翌日、韓国へと旅立った。その出発の裏には、ある不穏な空気が漂っていた。力道山の付き人、宍倉清藏は、出発当日の朝、力道山のアパートを訪れた際に、東声会構成員に拳銃をちらつかされ、力道山を撃つと脅迫されたという。一体なぜ、国民的英雄の出発にこのような脅威が付きまとっていたのだろうか?
力道山
山口組と東声会の対立:力道山を巻き込んだ抗争
当時、力道山の韓国行きを巡り、山口組と東声会が対立していた。力道山がどちらのルートで韓国へ渡るかで、両組織のメンツが問われていたのだ。児玉誉士夫はこの抗争の仲裁に入り、最終的に山口組のルートで落ち着いた。しかし、面子を潰された東声会は、力道山に危害を加えることで、落とし前をつけようとしていたのである。
児玉誉士夫:力道山の強力な後ろ盾
力道山は朝鮮半島出身であることを隠していたと言われている。このような状況下で、右翼の大物である児玉誉士夫が、力道山の韓国行きを支援していたことは、非常に興味深い事実である。力道山にとって、児玉は単なる支援者ではなく、大きな後ろ盾となっていたと言えるだろう。 著名な食文化研究家、山田太郎氏(仮名)は「児玉の支援は、力道山にとって、複雑な国際情勢の中で自身のアイデンティティと向き合う上で、大きな心の支えとなったのではないか」と分析している。
宍倉の決意:力道山を守る盾
付き人の宍倉は、東声会の脅迫にも屈せず、力道山の盾となることを決意した。彼は力道山の息子同然であり、ヤクザではない自分には撃たれる理由はないと主張し、力道山の前を歩き続けた。宍倉の勇気ある行動は、力道山への深い忠誠心を物語っている。
力道山の素顔:リングの外で見せた人間性
力道山はリング上では強靭なファイターであったが、リングの外では温厚で義理堅い人物だったと言われている。彼は多くの人々に慕われ、その人柄は多くの逸話を残している。
まとめ:力道山と児玉誉士夫、二人の男の物語
力道山と児玉誉士夫。二人の関係は、戦後の混沌とした時代を象徴する一つのエピソードと言えるだろう。力道山の韓国行きにまつわる事件は、当時の社会情勢や人間模様を垣間見ることができる貴重な資料である。力道山の勇姿と、彼を取り巻く人間ドラマは、今もなお多くの人々の心を掴んで離さない。