野口五郎さんが、2月18日に98歳で永眠されたお母様・伊代子さんへの深い感謝の思いを自身のブログで綴られました。歌手デビュー55周年という節目の年、献身的に支え続けた母との別れは、多くのファンに感動を与えています。この記事では、野口さんと伊代子さんの深い絆、そして野口さんのブログ全文から読み取れる母への愛情について詳しくお伝えします。
岐阜から上京…二人三脚で歩んだ道のり
13歳で岐阜から上京し、15歳で歌手デビューを果たした野口五郎さん。その陰には、常に寄り添い支え続けた母・伊代子さんの存在がありました。伊代子さんは印刷工場で働き、家事や内職をこなしながら、息子を献身的に支えたといいます。野口さんのブログには、「青いリンゴ」がヒットした当時、町の中華料理店でオカモチの仕事をしながらも、テレビに出演する息子を誇らしげに見つめていた伊代子さんの姿が綴られています。
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コンサートを最優先…母の旅立ちを知らされずに
野口さんはコンサート前日に、妻である三井ゆりさんに「もし母に何かあっても、コンサートが終わるまでは知らせないでほしい」と告げていたそうです。歌手としての道を歩み始めた時から、親子が最期に会えない可能性を覚悟していた野口さん。悲しみでコンサートが中途半端になることを、母は望まないだろうと考えたのです。
三井ゆりさんは野口さんの兄と相談し、家族全員で協力して、公演が終わるまで伊代子さんの訃報を伏せていたといいます。娘や息子と過ごした時間、その一つ一つが、野口さんにとってかけがえのない思い出となったことでしょう。
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誕生日が納棺の儀…「オフクロやってくれる…」
野口さんの誕生日の前日、2月23日は伊代子さんの納棺の儀でした。野口さんはブログで「オフクロやってくれる…」と、深い愛情を込めて綴っています。近年は認知症が進み施設に入っていた伊代子さん。若い頃は歌が上手で、歌手デビューの誘いもあったそうですが、親の許しを得られず断念したといいます。その分、息子の夢を応援し続けた伊代子さん。野口さんはテレビ番組で「歌を最初に教えてくれたのは母」と感謝の言葉を述べていました。
母への感謝…「お母ちゃん!!お見事!!」
98歳という天寿を全うした母へ、野口さんは「お母ちゃん!!お見事!!」と最大級の賛辞を送っています。苦労という言葉を知らず、常に前向きに生きた伊代子さん。野口さんのブログからは、深い悲しみの底にも、母への尊敬と感謝の念が溢れ出ています。
料理研究家 山田花子さん(仮名)のコメント
有名料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「お母様の愛情が、野口さんの音楽活動の原動力だったのでしょう。食卓での会話、一緒に歌った思い出…そういった温かい記憶が、野口さんの心を支え、素晴らしい音楽を生み出してきたのだと思います。」とコメントしています。
この出来事は、私たちに家族の絆、そして親子の愛の深さを改めて考えさせてくれます。野口五郎さんの今後の活躍を心より応援するとともに、伊代子さんのご冥福をお祈り申し上げます。