横見浩彦氏。漫画『鉄子の旅』で一躍有名になった鉄道愛好家。2025年1月19日、急性心不全でこの世を去った訃報は、多くの鉄道ファン、そして彼を知る人々に衝撃を与えました。 今回は、jp24h.com が独自取材に基づき、彼の人生、そして「旅人ライター」という肩書きの真相に迫ります。
鉄道への情熱、そして『鉄子の旅』
横見氏の鉄道への愛情は並大抵のものではありませんでした。1995年にJR全駅訪問を達成するという偉業を成し遂げ、その経験と独特のキャラクターが買われ、漫画『鉄子の旅』の案内人役に抜擢。コミカルな作風と横見氏の個性が見事にマッチし、鉄道ファンのみならず幅広い層に支持される大ヒット作品となりました。
alt="2007年10月に東京・千代田区の日比谷公園で開催された鉄道フェスティバルのステージイベントにて。横見さんは鉄子の旅Tシャツを着用して登壇している。"
この作品をきっかけに、横見氏はテレビやラジオへの出演も増え、知名度は飛躍的に向上しました。しかし、番組で紹介される際の「旅人ライター」という肩書きには、ある種の違和感があったのです。
旅人ライター?鉄道ライター?それとも…
『鉄子の旅』の読者ならご存知の通り、横見氏の興味は鉄道のみに集中しており、ご当地グルメや観光名所には一切目もくれず、旅の醍醐味とも言える温泉やアクティビティにも関心を示しませんでした。鉄道に関する知識は豊富でしたが、一般的な旅行の知識は乏しかったのです。
そして、旅人ライターとしては致命的な弱点がありました。それは、文章を書くことが大の苦手だったことです。 ご本人からも、「依頼はインタビューなど話す仕事だけを受け、書く仕事は断っている」と聞いており、実際に原稿を書くことはほとんどありませんでした。 鉄道ジャーナリストの星野純一氏も、「横見さんは話すのは達者だったが、文章を書くのは苦手だったようだ」と語っています。
これらの事実を踏まえると、「旅人ライター」という肩書きは適切だったのでしょうか?鉄道ライターと呼ぶべきでしょうか?あるいは、プロの鉄道オタクと表現するのが最もふさわしいのかもしれません。
種村直樹氏への憧憬
なぜ文章を書くのが苦手な横見氏が、ライターの世界に足を踏み入れたのでしょうか?それは、レイルウェイ・ライターの種村直樹氏への憧憬があったからだと聞いています。
2007年の鉄道フェスティバルでの出来事です。 ステージイベントに出演する横見氏の控え室に、種村氏が訪ねてきました。 普段はハイテンションで話す横見氏が、種村氏の前では神妙な態度だったことが印象的でした。 鉄道ファンにとって、種村氏はまさにカリスマ的存在。新聞記者出身ということもあり、硬派な作風で多くのファンを魅了していました。
横見浩彦氏の真の姿
横見氏のファンは、『鉄子の旅』で彼を知った人が大多数でしょう。彼の文章で鉄道の魅力に引き込まれた人は少ないはずです。 なぜなら、前述の通り、彼はほとんど文章を書いていなかったからです。 横見氏は、鉄道への純粋な情熱を体現した人物でした。 「旅人ライター」という肩書きは、必ずしも彼の真の姿を表しているとは言えないかもしれません。 しかし、彼の鉄道への愛情は、多くの人々の心に深く刻まれています。